「長崎物語」は、じゃがたらお春を歌っています。じゃがたらお春は、江戸初期、長崎で、イタリア人航海士と日本人女性の間に生まれます。頭脳明晰、容姿端麗だったそうですが、15 歳の時、鎖国令に基づき、バタヴィア(じゃがたら・ジャカルタ)へ追放されます。江戸中期に至り、天文学者・西川如見によって、お春がバタヴィアから故郷へ出したという手紙が「発見」されます。望郷の念を切々と訴える手紙は、涙なしには読めない「じゃがたら文」として有名になります。
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コルネリアと家族の肖像 |
お春が長崎で生まれる1年前、平戸で、明の商人と日本人妻との間に男子が生まれます。後に、明の復権をかけて清と戦う鄭成功です。皇帝から名字を賜ったことから「国姓爺」とも呼ばれ、近松門左衛門の「国姓爺合戦」でも有名です。中国本土で敗戦した鄭成功は、台湾に渡り、政権を樹立します。その間、アジア最大の武力を有する徳川幕府に対して、何度も救援要請を行っています。一部武器の供与は受けたようですが、派兵は断られます。鄭成功は、「開発始祖」として、いまも台湾で敬愛されています。
鄭成功やお春が生まれた頃、シャムでは日本人傭兵の山田長政が大活躍していました。日本とアジアの関係が広がった時代でした。鎖国なかりせば、と思ってしまいます。
写真出典:wikipedia