2020年7月8日水曜日

じゃがたらお春

灘の大関酒造(現大関株式会社)のCMソング「酒は大関こころいき」は名曲です。1970年、小林亞聖作詞作曲、歌うは加藤登紀子。大好きな曲ですが、昔から気になることがあります。歌いだしが「長崎物語」(1938年)にそっくりなのです。特に2番は「赤い花なら はななすの」とはじまりますが、「長崎物語」の出だし「赤い花なら 曼殊沙華」に歌詞まで重なります。4小節以内は盗作に当たらないとされるようですから、問題はないのでしょうが。

「長崎物語」は、じゃがたらお春を歌っています。じゃがたらお春は、江戸初期、長崎で、イタリア人航海士と日本人女性の間に生まれます。頭脳明晰、容姿端麗だったそうですが、15 歳の時、鎖国令に基づき、バタヴィア(じゃがたら・ジャカルタ)へ追放されます。江戸中期に至り、天文学者・西川如見によって、お春がバタヴィアから故郷へ出したという手紙が「発見」されます。望郷の念を切々と訴える手紙は、涙なしには読めない「じゃがたら文」として有名になります。

コルネリアと家族の肖像
お春の流麗な手紙は、西川如見の創作だったようですが、お春や同じ境遇のコルネリア等数人の「じゃがたら文」が現存します。お春は、バタヴィアで、平戸生まれのオランダ人シモン・シモンセンと結婚します。シモンセンは、東インド会社で出世を重ね、退職後も貿易商として成功します。子宝にも恵まれたお春は、豊かな生活を送り、72歳で亡くなりました。悲劇の少女にとって、恵まれた生活は、せめてもの救いだったように思います。

お春が長崎で生まれる1年前、平戸で、明の商人と日本人妻との間に男子が生まれます。後に、明の復権をかけて清と戦う鄭成功です。皇帝から名字を賜ったことから「国姓爺」とも呼ばれ、近松門左衛門の「国姓爺合戦」でも有名です。中国本土で敗戦した鄭成功は、台湾に渡り、政権を樹立します。その間、アジア最大の武力を有する徳川幕府に対して、何度も救援要請を行っています。一部武器の供与は受けたようですが、派兵は断られます。鄭成功は、「開発始祖」として、いまも台湾で敬愛されています。

鄭成功やお春が生まれた頃、シャムでは日本人傭兵の山田長政が大活躍していました。日本とアジアの関係が広がった時代でした。鎖国なかりせば、と思ってしまいます。
写真出典:wikipedia

マクア渓谷