2020年7月28日火曜日

銅像破壊

NY駐在員の頃、本社から多くの出張者が来ました。役員等をフルアテンドする場合もありました。そこで難儀な質問が二つありました。「あの木は何という木だ?」とても植物に興味があるとは思えない人からの質問です。先輩に教わったのは、「そういう時は、ジャーマン○○と言えばいい。どうせすぐ忘れるから」確かに、それ風に聞こえます。もう一つは「あれは誰の銅像だ?」とても歴史に興味があるとは思えない人からの質問です。NYには山ほど銅像があり、すべて覚えてるわけはありません。私は、植物も含め、例え名前を知っていても「知りません」と答えていました。答えれば、また聞かれるからです。

5月、ミネアポリスで発生した白人警官による黒人男性殺害に端を発したBLM(Black Lives Matter)運動が、世界中に拡散しています。BLM運動自体は、12年、フロリダで起きたトレイボン・マーティン少年の殺害事件から始まりました。言うまでもなくアメリカは人種差別大国です。法律は大事ですが、それですべて済むわけでもありません。恐らく戦い続けることだけが唯一の対応策なのだと思います。

今回、いささか気になることは、各地で起きている銅像破壊です。事の性格は様々でも、暴動ではしばしば銅像が倒されます。ロシアのレーニン像、イラクのフセイン像等、多くは直接的に暴動の原因につながる人たちの銅像です。暴動の象徴のようでもあり、倒すべき銅像が求めらる面もあります。今回の対象は、奴隷制度や植民地政策に関与した偉人達です。コルストン等の奴隷商人ならいざ知らず、ジョージ・ワシントン、マハトマ・ガンジー、ウィンストン・チャーチルに至っては、歴史の否定に近いものを感じます。

歴史は、常に勝者の歴史です。現在、世界史と呼ばれているのは、西洋史観でしかありません。日本史でも、明治維新は、薩長史観にすぎないという認識が広がっています。大いに賛同できます。ただ、それは解釈の問題であって、歴史的事実を変えることではありません。今回の動きが歴史的事実を否定することにならなければいいのですが。
河に捨てられるエドワード・コルストン像  写真出典:wsj.com

マクア渓谷