2020年7月20日月曜日

トンブクトゥ

トンブクトゥは、マリ共和国北部、青の民トゥアレグ族の街です。歴史地区は、世界遺産に登録されています。日本では、あまり馴染みのない街ですが、欧州の人たちは、皆、トンブクトゥを知っています。ただし、実在する街とは知らない人が多いようです。というのも、欧州でトンブクトゥと言えば、地の果て、あるいはどこか遠い所、という意味で使われている言葉だからです。

サハラ砂漠の南西端に位置するトンブクトゥは、北アフリカ・欧州とブラック・アフリカの交易中継地として大いに栄え、16~17世紀に全盛を迎えます。金銀財宝で溢れる街は、黄金郷として欧州に伝わります。しかし、海の交易路が主流になるとともに衰退し、モロッコの侵略を受けた街は往時の輝きを失います。かつて栄えた交易拠点なら世界中にありますが、トンブクトゥには他と異なる特徴があります。成功した商人たちが貴重な文献の収集に力を入れ、イスラム社会を代表する教育拠点になったことです。

トンブクトゥ写本と呼ばれる文献類は、街の衰退とともに散逸しますが、20世紀後半、世界中の協力を得て、再びトンブクトゥに集められます。2012年、写本は重大な危機に直面します。マリ政府に敵対する複数のイスラム過激派によって支配されたトンブクトゥでは、聖廟の破壊等が行われます。写本も燃やされたという報道が流れます。ところが写本類は、奇跡的に、すべて無事でした。

写本収集の中心人物でもあったトンブクトゥ国立図書館員アブデル・カデル・ハライダは、過激派の目を盗み、深夜に小分けした写本をロバに載せ、多くの民家へと移します。さらに、夜陰に乗じて若者たちが船やトラックに載せて、首都バコマへと運び出しました。すべて運び出すためには、数か月という時間と多くの住民の協力が必要でした。武装した過激派の目の前で、密やかに行われた文化財の移送作戦は、ノーベル賞に値するのではないかと思います。

ちなみに、マリ政府の要請を受けたフランス軍によって、過激派は制圧され、トンブクトゥは解放されます。2013年、過激派は、その報復としてアルジェリアの石油精製プラントを襲撃、200人を人質にとります。5日後には、アルジェリア軍特殊部隊が突入・制圧しますがが、双方に80人の死者がでます。残念ながら、うち10人は日本人でした。
写真出典:aflo.com

マクア渓谷