2020年7月16日木曜日

星になる

1972年、イスラエルのテルアビブ空港で乱射事件が発生。26名が死亡、73名が重軽傷を負います。一般市民を対象とする無差別テロは前代未聞であり、世界が驚愕します。パレスティナ解放人民戦線(PFLP)が計画し、実行したのは日本赤軍の3名でした。うち2名は、現場で射殺され、1名が逮捕されます。鹿児島大学生・岡本公三です。岡本は、法廷で「我々は死んでオリオンの星になる」と陳述します。極左テロリストは、大儀に殉じて、より大きな連帯を希求するロマンティストが多いのでしょう。

事件の半月ほど前、PFLPは、テルアビブ空港で、ハイジャックしたサベナ機の乗客を人質に、仲間の解放を要求します。しかし、交渉を拒否したイスラエルによって制圧されます。PFLPは、その報復として、空港襲撃を計画しますが、パレスティナ人では警戒されます。日本人なら怪しまれないので、義勇軍として合流していた日本赤軍に実行を依頼しました。

日本赤軍最高指導者 重信房子
1955年、日本共産党は武装闘争路線を放棄。それを不満とした学生党員らが、ブントと呼ばれる共産主義者同盟を結成します。いわゆる新左翼のスタートです。60年安保闘争に敗北したブントは分裂。その後、世界中で起きた学生運動は、党派を超えた全共闘が中心となり、70年安保闘争へと続きます。再び敗北した新左翼は派閥争いを激化。集合離散が続くなか、極左では、よど号ハイジャック事件等を起こした赤軍派から、山岳ベース事件やあさま山荘事件を起こした連合赤軍、そして日本赤軍が誕生しました。

日本赤軍によるテルアビブ空港襲撃事件は、その後の世界に二つの大きな流れを生み出します。一つは、空港のセキュリティ強化。今一つは、アラブ過激派による自爆テロです。それまでの主な闘争手段はハイジャックでした。イスラムでも自殺は認められていません。しかし、死を前提とした日本赤軍のテロに強く影響されたアラブ過激派は、ジハード(聖戦)の論理を持ち込みます。ジハードの戦死者は天国で安楽な生活を送れるというクルアーンの一節が持ち出されます。ジハードは、公式に選出された宗教指導者ムフティーの宣言によってのみ成立します。自称ムフティーたちのジハード宣言で天国の門が開くことはありません。
写真出典:sankei.com

マクア渓谷