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上杉鷹山公 |
いつの世も財政再建の基本は「出を減らし、入を増やす」ということになります。鷹山公も、まず「大倹約令」を発しますが、徹底的に率先垂範したところが非凡。また、倹約一本槍では人の心は荒びます。鷹山公は、漆・こうぞ・紅花等、新たな産業につながる農業も展開しますが、入を増やすこともさることながら、人々の心に、明日への希望を植え付けたのでしょう。
素晴らしいと思うのが、教育です。藩校「興譲館」を創設しますが、単なる人材育成だけでなく、倹約と謙譲を思想レベルまで高めることも大きな狙いだったと思われます。藩の思想となれば、鷹山公の取り組みは定着し、米沢藩は百年安泰。人の心理を重視した再建策こそ鷹山公の名君たるところであり、再建が成功した大きな要因なのでしょう。百年先を見越した政策の展開は、まさにトップにしかできないことです。
有名な「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」は、武田信玄の言葉に準拠した歌だそうですが、「伝国の辞」とともに、後継者に伝えられたと言います。「伝国の辞」は、わずか三行で、藩主の心得を伝えています。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
日向高鍋藩主の次男として生まれた鷹山公は、母方の祖母の実家である米沢藩主の養子となり、16歳で家督を継ぎます。その後、前藩主に実子が生まれたため、34歳で家督を譲り、隠居します。「伝国の辞」は、実にシンプルですが、すべての公職につく者が忘れてはいけない大原則だと思います。世の政治家の皆さん、そして経営者の皆さんに、是非とも思い出していただきたい言葉です。
写真出典:wikipedia