2020年6月5日金曜日

天安門広場

1994年6月4日、初めて天安門広場に立ちました。その広大さは、TVで見ていたイメージを超えていました。六四天安門事件から5周年のこの日、外国人を広場に近づけるな、という指示が政府から出ていると、中国人の知人から聞かされました。広場は、それと分かる私服公安であふれていましたが、入場も含めて、何の制限もありませんでした。中国共産党の自信の現れだと思いました。

85年、ソビエトの書記長に就任したゴルバチョフは、ペレストロイカとグラスノスチを推進、民主化へ動きます。これは共産主義国で多くの議論を呼びながらも、広がりを見せ始めました。中国は、78年に鄧小平が改革開放を宣言し、市場経済化が進んでいました。経済開放と独裁政治とのアンバランスは、どこかで限界を迎えるだろうと思われていました。86年。胡耀邦総書記が「百花斉放・百家争鳴」を打ち出し、民主化への期待が高まります。しかし、鄧小平ら八大元老が立ちはだかり、胡耀邦は解任されます。

後継となった趙紫陽は、改革路線を継続しようとしますが、保守派に妨げられます。そんな中、89年4月、胡耀邦が死去、各地で追悼集会が始まります。それは、ほどなく民主化を求める運動へと展開、天安門広場は10万人を超す学生や市民で埋めつくされます。世界が固唾を飲んで見守るなか、6月3日夜半、政府は軍を天安門広場に投入します。人民解放軍が人民を殺戮するという矛盾。死者は数千人とも1万人とも言われますが、いまだ公表されていません。

その後、中国はめざましい経済成長を遂げます。同時に、人民に対する政治的統制は強化の一途をたどります。人民が生み出した財貨で、人民がより一層縛られていく構図です。昨年、上海で会った中国人が言っていました。中国共産党には様々な問題があることは、皆知っている。ただ、共産党は、我々を豊かにしてくれた。この生活が続く限り、我々は、共産党を支持する。

広大な国土、膨大な人口、多様な民族。中国を治めるためには、秦の始皇帝の時代から、強力な中央集権化しかありません。アクトン卿曰く「絶対的権力は、絶対腐敗する」。共産党独裁国家の問題は、国民が共有できるヴィジョンの無さ、政権中枢での熾烈な権力闘争、そして政治における国民の不在だと考えます。国家は誰のために存在するのでしょうか。
タンクマン   出典:NHK

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