2020年6月26日金曜日

ポップン

1950年6月25日午前4時、北朝鮮軍は韓国への砲撃を開始。宣戦布告もないまま、暗号ポップン(暴風)のもと、10万の兵士が38度線を越えました。北朝鮮は十分に開戦準備を行い、装備面でもソ連の最新戦車を擁するなど南を上回っていました。一方、韓国軍は、北が38度線へ兵を移動している情報も軽視し、さらに前夜は陸軍省庁舎落成式で幹部は泥酔状態にあり、指揮命令系統も混乱。北朝鮮は、瞬く間に南に深く浸透します。

なぜ金日成は南進に踏み切ったのか、という議論があります。もちろん、共産主義政権による半島統一は悲願だったわけですが、開戦に至る直接的要因は何か、ということです。スターリンは、米国との直接対決につながりかねない南進には否定的でした。しかし、米国のトルーマン大統領による台湾問題不参入宣言、国務長官アチソンによる台湾・韓国不干渉ともとれる発言を受け、金日成が動きます。説得されたスターリンは、毛沢東の了承を前提に南進を許可します。この時、金日成は、スターリン、毛沢東双方に、他方も南進に賛成している、というウソまでついています。

金日成は、米国不干渉の可能性、韓国社会や軍の混乱等を見据えて判断したのでしょうが、実は、南進すれば、韓国民衆が蜂起し、共に李承晩政権を倒せると確信していたようです。これが彼の自信の源でした。それを金日成に吹き込んだのが朴憲永だったと言われます。朝鮮共産党の創設メンバーというエリート。戦後、南朝鮮共産党を結成しますが、米軍の弾圧を受け、北に越境します。北朝鮮では、副首相兼外相を務めます。結果、南での民衆蜂起は起きませんでした。朴憲永は、スパイ容疑で銃殺されます。責任を取らされたのでしょうが、民衆蜂起が起きていたとしても、粛清されたはずです。金日成の対抗馬ですから。

開戦から70年、いまだ半島情勢は不透明。統一は、金王朝による統一か、金王朝を排除したうえでの統一か、いずれかしかありません。文在寅がねらう、北の鉱物資源と南の技術・資本でウィンウィン、などあり得ません。金王朝は、軍を掌握するため、人民を統制するため、常に身近な敵を必要としています。尻尾を振る韓国政府など、逆に迷惑な存在であり、百歩譲っても安全なかつあげ対象でしかありません。
金日成(左)と朴憲永  出典:wikipedia

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