2020年6月2日火曜日

純インド式カリー

日本初のインド料理店と言えば、東銀座のナイル・レストランです。昔、初代のA.M.ナイルさんから教わったことがあります。インドのスパイスは良質だから、食後、辛さは残らない。辛さが残るようなら、チャイを飲みなさい。驚きました。チャイを一口飲んだだけで、辛さがサッと消えました。まるでインド大魔術。

日本へカレーを紹介したのは福沢諭吉。明治初期にはレシピが公開され、以降、独自の進化を遂げ、日本を代表する食文化になります。ただし、伝わったのは欧風カレーでした。日本初のインド式カリーは、1927年発売、新宿中村屋の「純インド式カリ・ライス」です。中村家がかくまっていたインドの独立運動家ビハーリー・ボースが伝授したものでした。

ビハーリー・ボースは、インドでの過激な運動がゆえに当局から追われ、日本へ逃亡。日本で武器の調達を行います。英国の圧力を受けた日本政府も国外退去命令を出しますが、頭山満等アジア独立主義者が中村屋に頼んでかくまってもらいました。後に国外退去命令も解除され、日本政府や軍部と連携したビハーリー・ボースは、インド独立運動の重鎮として活躍しました。中村屋のお嬢さんと結婚したこともあり、「中村屋のボース」と呼ばれます。もう一人のボースと区別するためでもあります。

もう一人は、チャンドラ・ボース。欧州で活躍後、ナチスと日本の潜水艦を乗り継ぎ来日、中村屋のボースとともに活動します。1943年、日本政府の後押しで、シンガポールに自由インド仮政府を樹立、首班に指名されます。さらに、45,000人のインド国民軍を率い、インパール作戦にも参加しました。第二次世界大戦後、英国がインドから撤退する直接的きっかけとなったのは、英国のインド国民軍の処分に対する民衆の反発でした。インドでは、ガンジーと並び、チャンドラ・ボースとインド国民軍は、独立の英雄です。

実は、初代ナイルさんは、ただのインド料理屋ではありませんでした。両ボースのもとで、日本政府との折衝等にあたった独立運動の闘士です。戦後、東京裁判では、判決にただ一人異を唱えたパール判事の通訳も務めています。いずれにしても、インド独立運動のおかげで、日本人はうまいインド料理を知ったというわけです。
                                                                                                                                                       出典:hotpepper.jp

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