2020年6月1日月曜日

永遠のチャンプ

1973年1月25日11:22AM、首都高で白いスポーツカーが宙に舞いました。カーブを曲がりれず、中央分離帯に乗り上げたコルベット・スティングレーは反対車線に飛び出し、大型トラックに激突。即死だったドライバーは、大場政夫、23歳。現役のWBA世界フライ級チャンピオン。3週間前、タイの英雄チャチャイに逆転勝利、5度目の防衛を果たしたばかりでした。端正な顔立ちにスリムな体型、伸びのあるストレートに的確なワン・ツーというきれいなアウト・ボクシング。何よりも、打たれても打たれても前へ出る闘争心。日本で永遠のチャンピオンと呼ばれるのは、大場政夫だけです。

大場政夫は、1949年墨田区の生まれ。父親はギャンブル好きで、家族は長屋で極貧生活を送っていました。ボクシング・ファンだった父親の影響を受け、大場少年の夢は「世界チャンピオンになって、家族のために家を建てること」だったそうです。中学卒業とともに、「二木の菓子」で働きながら、帝拳ジムに入門。栄養失調の痩せた少年の反射神経の良さを見抜いた桑田トレーナーは、大場を特待生として合宿所に入れます。実力はありながらも、戦績に恵まれなかった大場は、69年、突然開花。ノンタイトル戦ながら、次々と現役チャンプたちを倒していきます。欠けていたのはスピードでした。

70年、ついに世界チャンピオンとなった大場でしたが、安心して見ていられる防衛戦は一度もありませんでした。井上尚弥、具志堅用高といった後の天才たちとは違い、努力の人だったと思います。4度目の防衛戦、世界最強と言われたオランド・アモレス戦では1Rでダウン。流血のまま、2Rでダウンを奪い返し、5Rで仕留めます。最後の試合となったチャチャイ戦でも、1Rでいきなりダウンをくらいます。その際、右足首を痛め、足を引きずりながらラウンド。12R、ついにチャチャイをとらえ、3度のダウンで仕留めました。テクニックもさることながら、秘めた闘争心はそれ以上、という大場らしい試合だったと言えます。当時、それはハングリー精神と呼ばれました。

矢吹ジョー、星飛雄馬、大場政夫は、戦後日本そのものでした。極貧の少年時代、彼らは、「あしたのために」、「巨人の星」、「家族のために家を建てる」、それぞれの夢に向かって一途でした。彼らとともに、一つの時代が終わりました。73年、高度成長は終わり、アメリカはヴェトナムから撤退し、オイル・ショックが世界を襲い、新宿で闘争に明け暮れた若者たちはおしゃれな渋谷へと移っていきました。
                                                                                                                                             写真出典:boxingnews.jp

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