2020年5月2日土曜日

都の西北

駅伝は、不思議なスポーツです、走っている時は明らかに個人競技ですが、襷一本で究極のチーム・スポーツになります。一本の襷には、母校の伝統・名誉、そして先輩、同期、後輩たちの熱い想いが込められています。ご多分に漏れず、私も箱根駅伝の大ファンです。特定の大学を応援しているわけではありませんが、とにかく熱くなります。箱根駅伝に関する数々の逸話のなかで、最も好きなのが昭和29年の第30回大会、早稲田のアンカー昼田選手の話です。

早稲田は、5区山登りを制し、往路優勝を果たします。復路では、途中、順位を落としますが、9区で1位に返り咲き、そのまま10区アンカーの昼田選手に襷がつながります。快調に飛ばす昼田選手でしたが、増上寺手前の田村町付近で突然の失速。脱水症状であることは明らか。名将中村監督は、激を飛ばしますが、もはや目もあけられない昼田選手の状態に、たまらずサイドカーを降り、並走を始めます。

監督の手が選手にかかればレースは棄権。沿道を埋めるファンは、いつ監督が手をかけるかと見守っていました。ところが、中村監督は並走しながら、早稲田の校歌「都の西北」を歌っていたのです。沿道は、涙を流しながら大声で声援する人々であふれたと聞きます。昼田選手は、フラフラと前に進みます。意識はなくとも、練習で鍛えた体は何をすべきか知っていました。なんとか大手町に1位でゴールした昼田選手は、そのまま失神しました。

襷に込められたチームの想いが、昼田選手の体を動かしていたとも言えます。何度聞いても、この話には泣かされます。組織主義を信条に戦ってきた昭和のサラリーマンは、どうしても駅伝に会社生活を重ねてしまうのです。「人は、組織への貢献のなかでしか育たない」とはドラッカーの言。昨今、企業もガバナンスの時代を迎え、組織至上主義の弊害が目立つようになりました。しかし、企業にとって、チーム・スピリットの重要性は何ひとつ変わるものではありません。今も昔も、駅伝ほど日本人の心にしっくりくるスポーツはない、と確信するところです。
                                        早大中村清監督  出典:jijicom

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