私は、ハワイの空気が大好きです。とても人にやさしい空気だと思います。ホノルルの朝ほど気持ちのいい朝はありません。やさしい空気に漂うハワイ・コナの甘い香り、トロピカルな鳥たちのさえずり、そして遠くに聞こえるたおやかなハワイアン。ハワイアンを代表する曲と言えば、やはり「アロハ・オエ」。ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニの作詞作曲。去って行く恋人を思う気持ちを、ハワイの自然に託して歌う美しい曲です。
ただ、この曲は、米国に滅ぼされたハワイ王国を恋人に擬しており、リリウオカラニによるアメリカ批判の歌だとも言われます。カメハメハ1世が、白人から得た武器でハワイを統一、ハワイ王国を開いたのが、1795年。その後、英国の干渉を阻止した米国が影響力を強め、外国人による土地所有が認められると、島の大層を米国人が所有するに至ります。1874年、国王選挙を制し即位したカラカウア王は、米国による支配強化と戦います。カラカウアは、世界一周も行っています。各国に移民促進を要請する旅でしたが、国際関係をもって米国を牽制することもねらっていたと言われます。

世界一周の際、カラカウアは日本も訪問し、明治天皇に移民促進と王室の婚姻を提案しています。婚姻は拒否されますが、移民は大規模に実施されました。1887年、カラカウアの努力むなしく、米国人の圧力によって悪名高き「銃剣憲法」が公布されます。王権は著しく制限され、有権者はほぼ米国人で占められます。王朝崩壊の始まりでした。カラカウアの後を継いだのは妹のリリウオカラニでした。リリウオカラニ女王は、兄王の意思を継ぎ、王国復権をめざしますが、1893年、米国海兵隊の武力的圧力に屈し、ハワイ王国は終わりを迎えます。海兵隊展開の理由は「自国民の安全確保」今も昔も変わらぬ常套手段です。
アメリカのフロンティアとは西へ西へと行くことです。アメリカ・インディアンを殺し、メキシコ人を追い出し、ひたすら土地を奪いながら太平洋に到達します。その後、アメリカに残されたフロンティアは、ハワイ、そしてアジアだったわけです。
リリウオカラニ女王 出典:Wikipedia