私は、どうもコレクターとしての素質に欠けるようです。例えば、読んだ本を書棚に並べることはしません、すぐ手放します。それでも増えるのが本です。そのなかに、たまに読み返すために取ってある本もあります。岡本かの子の「老妓抄」もその一つ。90年前の短編ですが、評価も人気も衰えないようです。初めて読んだのは、高校三年の夏。その夏は、日に一冊の本を読みました。およそ30冊読んだなかで、いまなお気になる本はこれだけです。
岡本かの子は、最晩年の数年だけ小説家として活躍します。その作風は、耽美、妖艶と言われますが、彼女の奔放な個人生活に影響された評価だと思います。むしろ、歌人、仏教研究家であったことが作風を形成していると思います。言葉の美しさもありますが、むしろ独特で詩的な表現が文体を作り、リズムの良さが歌人らしさを感じさせます。最も大きな特徴は、題材の如何を問わず、お香のような穏やかさが作品に漂っていることです。それを諦観と見る人もいるでしょうが、むしろ対象を見つめる仏教的静謐さだと思います。
年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり

有名な老妓抄巻末の歌です。ある人は「生への執着」あるいは「生きる希望」と受け取り、またある人は「女の性」と読みます、私は、彼女の仏教感が、この歌に凝縮されているのではないかと思っています。諸行無常、一切皆苦という現実を受け入れ、而今を切に生きる。思いのままにならない世の中の、一瞬一瞬を精一杯生きることが修行であり、それが悟りにもつながる、という修証一如の考え方なのではないでしょうか。それが「老妓抄」がにじませる人生観だと思います。また、岡本かの子の多様な短編の世界に共通する彼女の目線のように思います。
岡本かの子の生き方にも、相通じるところがあります。多くの愛人、夫と愛人との同居生活、常人には理解し難い世界ですが、一瞬一瞬を懸命な正直さをもって生きるという姿勢の現れとも思えます。その極端な純粋さは、息子太郎にも受け継がれたのでしょう。
写真出典:港区