釈迦が初めて説教をした初転法輪の地サールナートで、最も驚いたのはストゥーパの大きさでした。半球型をイメージしていたのですが、それはごく初期のものであって、5世紀に建てられたこのダーメーク・ストゥーパは高さ44m、建立時は倍もあったと言います。ストゥーパは、釈迦入滅後、その骨を納めた仏舎利塔として10塔建てられます。仏教を広めたアショカ王は、それらを壊して、新たに8万以上のストゥーパを建て、仏舎利を分骨します。それがさらに中国、韓国、日本へと広がり、形も半球型から楼閣型、そして日本で五重塔になりました。名称も、ストゥーパから卒塔婆、塔婆、そして単に塔と呼ぶようになりました。
日本の五重塔は、一塔たりとも地震で倒壊していないことから、その建築技術の高さを誇ってきました。ことに心柱構造は有名です。最上階の屋根に重しをかけるために設置される心柱は、地面と接していないことで、塔の外側と揺れの周期が異なり、結果、全体の揺れを減じる仕組みだというわけです。聞いたときには感動しました。チーム・リーダーの皆さんに「組織の心柱たれ」等と言っておりました。東京スカイ・ツリーでも心柱構造が採用されたと聞き、一層、得意げに話していました。
ただ、実際には、心柱構造の採用は、江戸期以降。しかも科学的には揺れを減じる効果は立証されていないとのこと。がっかりです。五重塔は、木造、高層であることから、揺れて倒壊を防ぐ、いわゆる柔構造になっています。どうも、これが倒れない主因のようです。いまや世界の高層建築は、柔構造が基本となっていますので、これは誇りに思っていいことなのでしょう。ただ、柔構造にしても、心柱にしても、ねらったのではなく、結果論だったわけですね。やや残念。

日本で最も美しい五重塔は、室生寺の五重塔だと思います。屋外の五重塔としては国内最小ながら、その美しさは、平城の優雅を偲ばせます。女人高野室生寺を有名にしたのは写真家土門拳だと言っていいのでしょう。「雪の室生寺」は写真史に残る傑作。土門拳は、雪が降るまで、幾日も幾日も門前の宿・橋本屋で待ち続けます。ついに雪が降った朝、土門拳は、宿の主人と手を取り合って号泣したと言います。土門拳の執念の雪待ちも、1200年を経た五重塔の歴史の前では、ほんの刹那に過ぎません。