2020年5月13日水曜日

行くに径に由らず

紙媒体の出版は厳しい状況が続きます。百科事典は、既に古書。辞典は、児童向けに底堅い需要もあるようですが、かつてほどではありません。ちなみに、電子辞書もスマホに押され、過去のものになつつあります。その辞書に、久々のヒット作が出ました。「三省堂国語辞典広島東洋カープ仕様」です。国語辞典としての基本はそのままに、カープ・ファンへのくすぐりを盛り込んでいるようです。辞書として売れているというよりは、カープ・グッズのひとつなのでしょう。

世界最大の辞書は、諸橋徹次編「大漢和辞典」です。親文字5万余り、熟語53万余りを収録。30年をかけて、1955年第1巻刊行、1960年全13巻を刊行。修正版刊行の際には、漢字の本家である中国政府が500部を購入したという逸話もあります。1925年、大修館から編纂依頼を受けた時、諸橋は42歳。以降、空襲で版を焼失したり、視力を失ったりしますが、99歳で亡くなるまでの半世紀、執念の編纂を続けます。諸橋が構想していた全15巻が刊行されたのは、2000年でした。

諸橋が、生前、好んで色紙に書いた言葉が「行不由径」、行くに径(こみち)に由(よ)らず、です。近道や脇道を選ぶことなく、正しい道を行きなさい、という意味。まさに諸橋の生き方そのものです。原典は、論語。孔子の弟子である子游が、澹台滅明(たんだいめいめつ)を評した言葉です。魯の国の地方長官に任官した子游に、右腕となるような人材は得たか、と孔子が尋ねると「澹台滅明という者がいます。近道を選ぶことなく正道を行き、用がなければ私の部屋にもきません。」との答え。澹台滅明なる人の、誠実な人柄、仕事ぶりを、実に簡潔に伝えています。

澹台滅明    写真出典:百度百科
澹台滅明は、楚の人で、希に見る醜男だったようです。さすがの孔子も弟子にすることをためらったといいます。滅明は、コツコツと勉学に励み、ついに三百人の弟子を抱え、諸侯に知られる人にまでなります。後に孔子は「吾、貌を以て人を取り、之を子羽に失す」と反省します。子羽とは孔子の弟子になってからの滅明です。

私は、この話を、バブル崩壊後の地銀にあって、不良債権処理を進めたある頭取から聞きました。先輩たちの径に由りまくった経営の後始末を、「行不由径」という姿勢をもって取り組んだ人でした。誰かが行わざるを得なかった仕事でしたが、誰にも評価されることのない仕事でもありました。
                                       

マクア渓谷