アンナ・パブロワの帝劇公演は、日本で初めての本格的バレエ公演だったようです。パブロワは、既に世界的名声を勝ち得ており、ことに「瀕死の白鳥」は彼女の代名詞ともなっていました。ラスト・シーンで白鳥は死に、幕が下ります。その死んだ姿に感動した菊五郎は、三日通ったと言います。二人が会った際、菊五郎が「あなたはラストで息をしていなかった。」と言えば、パブロワは「白鳥は死んだのですから当然です。」と答えます。続けて「もし幕が下りなかったらどうするんだ。」と聞けば、名プリマドンナは「そのまま死にます。」と答えたそうです。
息をしていないことを見抜く名人と、「死にます。」と答える名人。名人は名人にしか理解できなという鳥肌ものの話。実は、菊五郎は「息をつめる」ということを体得した瞬間、名優になったという話があります。舞台は、タイミングと間の芸術とも言われます。息をつめるとは、おそらくタメのことなのでしょう。タメが舞台上の爆発力を生むことがあります。菊五郎は、無意識に、パブロワの息を読んでいたのでしょう。ちなみに、パブロワの死後、バレエ界はその才能に敬意を表し、20年間「瀕死の白鳥」を上演しなかったと言います。
義太夫の人間国宝、八代目豊竹嶋太夫が引退会見の際、70年に及ぶ芸歴を振り返り「下手だから続きました。」と語ります。楽しかったことは、と聞かれた嶋太夫は「ただただ苦しゅうございました。」と答えています。人間国宝にして、この言葉。芸の道に終わりはありません。アンナ・パブロワ「瀕死の白鳥」ラスト・シーン 出典:Russia Beyond