2020年4月19日日曜日

アフロ・ビート

ブルース、ジャズ、サンバ等、南北アメリカの音楽のルーツは、西アフリカにあります。70年代、その子孫の影響を受けてナイジェリアに誕生したのがアフロ・ビート。創ったのは、不屈の男フェラ・クティでした。ポリリズム、延々と続くリフ、アクの強いホーン・セクション、泥臭いヴォーカル。アフリカン・パワーを強く感じさせます。

フェラは、教師兼牧師の父、著名なナショナリストの母のもとに生まれます。母は、英国とナイジェリア独立を交渉したほどの人。兄と弟は、英国に留学した医師です。フェラも英国のトリニティ音楽大学に留学。留学中にジャズに傾倒したフェラは、西アフリカ音楽の主流ハイライフにジャズの要素を加えたバンドを結成し、アメリカに演奏旅行を行います。そこで、マルコムXとジェームス・ブラウンに強い影響を受けたフェラは、自分たちの音楽を希求し、アフロ・ビートを生み出します。

当時、ナイジェリアは軍事政権下にあり、フェラの曲は、強烈な政府批判に満ちていました。フェラは、本や演説で反政府運動を扇動したわけではありません。武力闘争を行ったわけでもありません。ただ、軍事政権も黙ってはいません。弾圧を受けたフェラは、貧民街に高い壁で囲われた大きな家を建て、独立を宣言をします。77年には、千人の兵士に襲撃され、家は全焼、母親は殺され、本人も重傷を負います。フェラは、母の棺を掲げ、政府への抗議行進を行っています。逮捕されること、実に12回。その都度釈放されますが、84年、ついに実刑判決を受けます。ただ、裁判官が、政府から圧力をかけられた不当判決であることを告白します。これを受け、ポール・マッカートニーはじめ世界中の音楽家たちが抗議運動を繰り広げ、フェラの釈放を勝ち取ります。

音楽的に成功したフェラは、LAやロンドンに住み、活動することもできたはずです。しかし、貧民街に住み続け、自身のライブハウス「アフリカ・シュライン」で演奏し続け、政府を挑発し続けました。まさに不屈の男。97年、エイズに感染したフェラは、西洋医学を拒否して、亡くなりました。ラゴスのアフリカ・シュラインでは、今もフェラの子供達が演奏しています。末子シェウンは、毎年、青山のブルーノートでもライブを行っています。
写真出典:alubarika

マクア渓谷