2020年4月13日月曜日

チカーノという文化

1959年2月3日は「音楽の死んだ日」。バディ・ホリー、ビッグ・ボッパー、そしてデビュー間もない17歳のリッチー・ヴァレンスが、飛行機事故で亡くなりました。リッチーの死後、2枚目のシングル「ドナ」は全米2位まで上昇。カップリングされた「ラ・バンバ」も22位につけます。これが、スペイン語で歌われた曲としては、全米初のヒットだったそうです。

当時のヒスパニックの人口は700万人程度。その後、増加を続け、80年代末には3,000万人程度に達します。87年に公開されたリッチーの伝記映画「ラ★バンバ」の同名主題歌は、全米ナンバーワンに輝きます。近年、ヒスパニック人口は5,000万を超え、人口の20%を占めるに至っています。今年の大統領選、民主党の候補者であったカーマラ・ハリス女史は、ジャマイカとインド移民の娘。ヒスパニックの票を集めて。大躍進するかと思っていました。結果は、早々の撤退宣言。ヒスパニックと言っても、母国は多岐にわたり、政治的統一性など存在しないわけです。最大勢力は、6割を占めると言われるメキシコ系です、

メキシコ系アメリカ人はチカーノと呼ばれます。カリフォルニア州では、人口の4割を占めると言われます。永らく低賃金労働者として抑圧され、地位向上を目指す運動がなかったわけではありませんが、大きなうねりを生むには至っていません。その理由は定かではありませんが、一つには、差別は存在しても白人社会への同化が一定程度進んだこと、そして今一つは、都市部貧困層を支配する麻薬とギャングスタの存在が大きいのではないかと思います。

チカーノ・カルチャーと言っても、これといった独自性を感じさせるものではなく、メキシコ風というだけだったように思います。ただ、ここ20年くらい、ファッション、ヒップホップ、タトゥー、ローライダーといったあたりで強烈に個性を主張し始めた印象があります。その母体はギャングスタであり、ナルコ・マネーです。メキシコの麻薬王ガジャルドによるファミリーの分割、コロンビアのメデジン・カルテルの崩壊等によって、アメリカへの麻薬供給の中心はメキシコへと移ります。チカーノ・カルチャーの勃興は、まさにこれと軌を一にしているように思います。


Netflixで、昨年は「チカーノになった日本人」、今年は「LA発オリジナルズ」とチカーノ文化を伝えるドキュメンタリーが公開されました。ギャングスタたちの家族愛と友情の深さ、エッジの効いたファッションや音楽の格好良さもさることながら、それ以上に、明日がまったく見えない青春の絶望感が重く、重くのしかかります。

                          出典:https://www.last.fm/


マクア渓谷