2025年12月2日火曜日

「トレイン・ドリーム」

監督:クリント・ベントレー    2025年アメリカ

☆☆☆☆

とても上質で、永く印象に残る作品だと思います。主人公は、 伐採労働者として、アメリカ西部の山中で生涯を送った物静かで忍耐強い男です。彼の人生を通して、アメリカの現代史が淡々と語られていきます。同時に、それはアメリカを形作ってきた無名の人々への賛歌でもあり、消えゆく大自然への哀歌でもあります。原作は、デニス・ジョンソンのピュリッツアー賞の最終候補ともなった2011年の同名中編小説です。監督は、南部で牧場と林業を営む家に生まれた人で、本作が監督作品2作目となります。渋いキャストが揃うなか、主役のジョエル・エドガートンが、映画を決定づけるほどの名演を見せています。低予算映画ながら、アメリカでは、早くもアカデミー賞候補との呼び声が高い作品です。

産業革命、西部開拓、そして近代化と進む米国で、木材の需要は尽きることがなく、また広い国土にあって森林も尽きることがないように思えたはずです。森林の伐採は米国の近代化を支えたわけですが、その最前線で働く労働者たちは近代化に取り残された人々でした。機械化が進んだ現代でも、伐採労務は死亡率の高い危険な仕事です。20世紀初頭ならば、なおのことです。伐採労務者たちは、強欲の塊である資本主義の奴隷として働きながら、一方で自然を破壊することへの漠然とした恐れも感じています。それが姿を成したのが山火事であり、主人公は妻子を失うことになります。喪失感に打ちのめされた主人公は、世間から孤立していきます。それでも伐採の現場へ戻りますが、老いてゆく仲間の姿を見て、季節労務の仕事から離れます。

資本主義は人種差別をも生み出します。鉄道工事の現場で虐殺された中国人の幻影が、おりにふれて主人公の目に浮かびます。しかし、本作は、アメリカの現代史を批判的に描いた作品などではありません。失われた自然への哀惜や無名の人々に対する共感はありますが、物質文明や資本主義を論じているわけではありません。作品は、センチメンタルでノスタルジックなベールをまとっていますが、そのテーマとするところは無常観なのだと思います。ただし、仏教の無常観とは大いに異なります。仏教における無常観は空の概念へと導かれますが、本作の無常観は、”それでも人生には意味がある”という肯定につながっていきます。ラスト・シーンで飛行機に体験搭乗した主人公は、宙返りした瞬間に「天地が逆になり、全てがつながった」という思いにたどりつきます。

主人公のなかで、何が逆転したのでしょうか。主人公は、自然や社会と対峙し、さいなまれ、無力感を感じています。しかし、宙返りして天地が逆になった瞬間、自分が、ささやかながら自然の一部であり、歴史の一部であることを悟り、自らの人生を肯定することができたのだと思います。それは、プロテスタント・カルヴァン派の思想にも通じています。マックス・ウェバーは、カルヴァン派が資本主義を発達させた、と言っています。産業革命以降の経済発展はカルヴァン派によって成し遂げられたとも言われます。神が救う人は予め決められているが、それが誰かは分からない。少なくとも、選ばれた者は禁欲的に職業に励む者であるに違いない。カルヴァン派は、現実肯定の宗教であり、無名の人々の勤勉を後押しし、米国の発展に寄与したと言えます。

実は、この映画は”老い”についても語っているように思います。どこまで監督が意識しているのかは判然としません。ひょっとすると、テーマを展開するうえでのフレーム、あるいは副産物なのかも知れません。人それぞれの人生には、良いことだけではなく、悪いことも多々起こります。自らの人生を全肯定して穏やかな老後を過ごすか、深い後悔にさいなまれる日々を送るか、これは大きな違いです。美しい自然の映像、持続する穏やかなトーン、内省的なエドガートンの演技、これら全てが老人には深く刺さります。恐らく、多くの老人が、主人公に我が身を重ねて、この映画を見ることになるのでしょう。いずれにしても、なかなかの作品、なかなかの監督が登場したものだと思いました。(写真出典:imdb.com)