2025年5月17日土曜日

草を枕に

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。夏目漱石の「草枕」冒頭のあまりにも有名な一説です。会社員時代には、幾度もこの言葉が頭をよぎる場面があったものです。”草枕”とは旅の枕詞ですが、旅そのものを指すこともあります。万葉の頃、旅に出るとすれば、野宿も覚悟する必要がありました。野宿の際には、草を編んで枕にするということから出た言葉です。漱石の三作目となる小説「草枕」は、地方の温泉地に旅した画家の話です。旅先での出来事とともに、漱石の芸術論が語られます。高校生の頃に読んで、感銘を受けた大事な一冊です。

作中には、”非人情”というキーワードが多く登場します。現代人にとっては、一見、誤解を生みやすい言葉のように思います。我々は、どうしても、不人情、非情、薄情といったマイナス・イメージを思い浮かべます。ただ、漱石の非人情とは、世俗的ではない、芸術的、詩的な世界を指します。漱石が唱えた”低徊趣味”にも通じます。低徊とは、立ち去りがたいようすで行ったり来たりすることです。低徊趣味とは、世俗的な気持ちを離れ、自然や芸術、あるいは人生に思いを巡らせる傾向とでも理解すべきなのでしょう。しかも、漱石によれば、西洋の芸術はすべて”人事”が根本にあり、非人情と呼べるものは東洋にしかない、ということになります。人事とは、非人情の反対であり、人間の世俗的な諸事全般を指しています。

一方では”憐れ”というキーワードも登場します。画家は、容姿も所作も美しい宿の出戻り娘・那美さんに、私を描いて、と頼まれます。画家は、表情に憐れがないから描けないと断ります。那美さんが、別れた夫を駅で見送る際に浮かべた表情を見て、画家は「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と叫び、小説は終わります。”憐れ”は、作中で”神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である”と語られています。一見、”非人情”と”憐れ”は対立する概念のように思えます。もちろん、憐れとは不憫に思うことや同情ではなく、日本の美意識の根幹にあるとされる”もののあわれ”であり、しみじみとした情趣を指しているのだと思います。だとしても、”憐れ”が人間の情である以上、”非人情”とは相容れないようにも思えます。

しかし、漱石の言う”憐れ”とは無常観のことではないかと思うのです。無常観は、人間の認識ではありますが、世俗的な人間の欲を全否定していることから、非人情とも言えるのではないでしょうか。東洋趣味的な芸術論が展開される草枕ですが、その本質は、無常観を思う旅であり、唯識論的な巡礼の旅だったのではないかと思います。不世出の天才ピアニスト、グレン・グールドは、「草枕」の大ファンであり、死の床には、聖書とともに書き込みだらけの「草枕」があったといいます。グレン・グールドが、草枕に何を見ていたのかは分かりませんが、超越的な演奏を繰り広げた孤高の天才には、”非人情”が見えていたのかもしれません。グレン・グールドが演奏するバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を、漱石に聞かせてみたかったものです。

漱石は、1895年、愛媛県尋常中学校(現在の松山東高校)に英語教師として赴任します。伊予松山は、1906年に発表された漱石の「坊っちゃん」の舞台として知られます。漱石が松山にいたのは1年足らずの期間でしたが、今も松山は漱石と坊っちゃんを観光資源としています。対して、1896年から4年余り、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として滞在した熊本では、漱石の名を耳にしたことがありません。草枕は、坊っちゃんと同じ年に発表されています。舞台は玉名市の小天温泉、宿は政治家・前田案山子の家、那美さんは前田案山子の娘・卓がモデルとされます。さすがに、小天温泉は草枕推しのようですが、あまり知られていません。その温度差は、坊っちゃんが大衆的な小説であり、草枕が芸術論であったことによるものなのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

ちゃんこ巴潟