2025年4月11日金曜日

ルーシー・ブラックマン事件

2000年7月、元ブリティッシュ・エアウェイズのCAで、六本木でホステスをしていたルーシー・ブラックマンが行方不明になります。警察は、ホステスが男と接触後に行方不明となるケースが多く起きていたことを掴みます。捜査線上に浮上したのは資産家の男でした。警察は、男を別件の準強制わいせつ容疑で逮捕し、赤坂の高級マンション、逗子のリゾート・マンションを家宅捜索します。そこには男が、長年に渡り、薬物を用いて行ってきた性的暴行のメモやビデオが多数残されていました。被害者数は200人を超え、戦後最悪の性的暴行事件となります。ただ、被疑者は、あくまでも金銭的合意に基づく行為だったと主張します。そして、ルーシー・ブラックマンとの関係は否定し続け、また、接触を証明する証拠も見つかりませんでした。 

その後も、警察は、集めた状況証拠を突きつけて自白を迫りますが、落とすことはできませんでした。自白がないまま、警察は闇雲とも言える遺体捜索を行い、幸運にも、2001年2月、油壷の被疑者のマンション近くの洞窟で、切断されたルーシー・ブラックマンの遺体を発見します。これで殺人事件になったわけですが、それでも被疑者の自白は得られず、殺人を決定づける証拠も入手できませんでした。一方で、警察は、メモに残された性的暴行の被害者数十人を特定しますが、多くは、薬物で昏睡していたために暴行された記憶がなく、またビデオで暴行が確認できても告訴を望みませんでした。それでも日本人4人と外国人6人が告訴に応じ、ルーシー・ブラックマンの殺人を含めて裁判が始まります。裁判は、実に7年に及ぶことになります。

結果、男は暴行罪等で無期懲役となりますが、ルーシー・ブラックマンの殺人に関しては無罪となります(後に誘拐、死体損壊・遺棄で有罪)。十分過ぎるほどの状況証拠がありながら、法医学的証拠がなかったためです。被疑者は、犯行に際して周到な準備を行っていたわけですが、その几帳面さが、一方でメモやビデオ、領収証類の保管にもつながっていたのでしょう。自白しなかったのは、そもそも殺意がなかったことに加え、被疑者の並外れて強い精神力、資産家の被疑者が雇った多くの弁護士の支えもあったからなのでしょう。被疑者は大阪の在日韓国人として生まれ、極貧の生活をした後、父親がパチンコ店経営や不動業で莫大な財産を築いています。被疑者は、幼い頃からいじめも経験し、社会に対する恨みも持っていたのではないかと思われます。

不思議なことに、大手マスコミは被疑者の出自に関して、当時から今に至るまで、一切、報道していません。差別問題化することを懸念したからだとされます。しかし、パチンコ業界がTVCMの大のお得意先であることから、TV・新聞報道に圧がかかったか、あるいは自主的に報道を避けた可能性もあると思われます。もちろん、差別報道などもってのほかですが、まったく報道されないことも異常と言わざるを得ず、日本のマスコミの体質が露わにあった事件だとも言えます。同様に、自白頼みと言われる日本の警察の弱点が露呈した事件とも言えます。警察が得意とするかつ丼、母親の訴えといった自白を促す情緒的な手法も通じなかったわけです。また、数々の冤罪事件を生んできた威圧的で執拗な取り調べも行われていないようです。それはそれでまともなことだとは思いますが、パチンコ業界が警察の天下り先として知られていることと無関係であればよいのですが。

この事件の特異性の一つに、冤罪キャンペーンがあります。裁判が行われている最中、冤罪を訴える書籍が刊行され、ウェブ・サイトが開設されています。すべて、被疑者の弁護士が行ったことだとされています。また、事件は、海外でも注目されました。ルーシーの家族がたびたび来日し、事件は英国でも報道されました。当時のブレア英国首相が訪日した際には、来日中だったルーシーの家族と会っています。外国人が被害者であったこと、史上最悪級の性的暴行事件であったことに加え、当時の警察が外国人の事件に熱心ではなかったとされる点、海外とは異なる日本の司法制度なども注目されたのでしょう。一昨年には、Netflixがドキュメンタリー映画を製作し、世界中で公開しています。いずれにしても、多くの闇を抱えた歴史的大事件だったと言えるのでしょう。(写真出典:afpbb.com)

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