2025年4月5日土曜日

「ミッキー17」

監督:ポン・ジュノ       2025年アメリカ・韓国

☆☆☆

あらためてポン・ジュノ監督の腕の良さに感心しました。さすがです。ただ、残念ながら、映画としては、まとまりに欠け、散漫な印象を受けました。原作との関係なのか、、プロダクション・サイドから横やりが入ったのか、とにかくテーマに対するフォーカスがブレブレでした。複数のテーマが並列的に扱われており、まるで3本くらいの映画を一度に見せられているような印象すら受けました。評論家の評価はそこそこ良かったのですが、興行的にはコケて、大赤字になるようです。前作「パラサイト」の大ヒットを受けて、製作会社が監督の好きに撮らせた映画なのかもしれません。ただ、レベルは高いのに、中途半端な印象だけが残る映画でした。

パラサイトは、実に良く出来た映画でしたが、ポン・ジュノと言えば、いまだに「殺人の追憶」(2003)がベストだと思っています。監督の長編2作目でしたが、韓国映画を変えた記念碑的作品だと思います。長らく低迷していた韓国映画界が大きく変わったのが1990年代でした。韓国映画のルネサンス期とも呼ばれます。個人的には、パンソリ師の世界を描いた「風の丘を越えて/西便制」が印象に残っています。1997年には、アジア通貨危機のあおりを受けて、韓国はIMFの支援を受けることになります。いわゆるIMFショックであり、韓国経済界は大きく変わっていきます。IMFの指導のもと、コンテンツ輸出も政府の外貨獲得策の一つとされ、音楽界や映画界も大きな変革の時を迎えます。いわゆる韓流ブームの始まりです。

1998年の「八月のクリスマス」、1999年に大ヒットした「シュリ」や「カル」は、今に続く韓国映画隆盛の源流になった作品だったと思います。そうした背景のうえに、2003年、「殺人の追憶」が公開され、大ヒットを記録します。作家主義とエンターテイメントが高いレベルで融合し、韓国映画のレベルの高さを決定づけた作品だったと思います。私は、いわゆる韓流ドラマにもコリアン・ポップにも興味はありません。ただ、「殺人の追憶」以降、韓国映画だけは大好物になりました。ポン・ジュノ映画の大きな特徴の一つは、自然主義だと思います。観客の首根っこを掴んでドラマを押しつけるスタイルではなく、観客の感性や判断に委ねる間合いが巧みに取り込まれ、観客を映画にシンクロさせているように思います。ポン・ジュノのユーモア、ファンタジーといった傾向は、そうした自然主義の現れのように思えます。

今回も、そうしたポン・ジュノの特徴は出ていたとは思います。ただ、本作に、パラサイトで見せたテーマへの訴求力はなく、十分にポン・ジュノの魅力を発揮するには至っていません。本作には、クローンが内在する倫理観や死生観、トランプもどきの独裁者への批判、怪獣に託した移民問題といったモティーフが詰め込まれ過ぎており、テーマが迷走してしまったところがあります。結果、テーマを訴求する過程で発揮されるポン・ジュノの強みが、冗漫さにつながっている面があります。世界のポン・ジュノとなった今、本作がコケたとしても、金を稼げる監督をハリウッドが手放すとは思えません。ただ、ポン・ジュノには、韓国社会の今、あるいは本質を見つめる映画を、韓国で撮ってもらいたいものだと思います。

本作におけるクローンは、議論を避けるようにファンタジー化されています。クローン技術は、猫、犬、猿を生成するまでになっており、クローン人間も可能な段階に来ているのでしょう。本作では、3Dプリンターを使って成人として生成されますが、現実的には新生児として誕生することになります。後天的な要素も含め、完璧に同じ人間になるわけではないようです。いずれにしても、クローン人間の生成は法的に禁止されています。その根拠としては、倫理観の問題、同じ人間が複数存在する社会的混乱、クローンの奴隷的扱いへの懸念などが挙げられています。必ずしも統一されていない点が気がかりではあります。なお、2004年、アメリカでニッキーという猫から”リトル・ニッキー”というクローンが生成されています。いわゆる”コピー・キャット”です。本作のタイトルは、この猫からイメージされているようにも思います。(写真出典:eiga.com)

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