2025年1月3日金曜日

画商

レオ・カステリ
世界のアート市場の規模は、2010年頃に急拡大し、概ね10兆円弱の水準で推移しています。世界的に富の集中が進むなか、アートが有力な投資対象とされたこと、中国の富裕層が参入したこと、そしてネット取引の拡大が寄与しているのでしょう。アートの売買は、投資目的ばかりとは言えませんが、価格は明らかに投資市場に左右されます。将来価値を取引する市場という意味では株式によく似ていると思います。投資家と株式市場を仲介するのが株式ブローカーですが、アートの場合、収集家や投資家と作家をつなぐのは画商です。両者は、いわゆる目利きという点でも類似していますが、画商には作家を育てるという独特な文化があると思います。ここが株屋との大きな違いだと思います。

古くさい言い方になりますが、画商には”箱師”と”旗師”がいます。近年、まったく聞かなくなった言葉ですが、箱師とは自前の画廊を持っている画商のことであり、旗師は画廊を持たずに商売をする画商です。最近では、箱師をギャラリスト、旗師を美術ブローカーと呼ぶようです。作家を発掘し、育てるという役割を担っているのは主にギャラリストです。近代絵画は19世紀後半の印象派に始まるとされます。新古典派が牛耳るフランス美術アカデミーから否定された印象派を擁護し、世界に知らしめたのはポール・デュラン=リュエルとアンブロワーズ・ヴォラールという二人の画商でした。印象派は、近代絵画の幕を開けただけではなく、近代的な画商、そして近代的な美術界をも生み出したと言えるのでしょう。

その後、美術史に名を残す画商たちが活躍を始めます。オランジュリー美術館のコレクションの基礎を築いたポール・ギヨーム、”ピカソの画商”と呼ばれキュビズムを先導したダニエル・ヘンリー・カーンワイラーなどは特に著名です。そして、1950年代後半、美術界に大きな変革をもたらし、今に続く現代アートの世界を切り開いたNYの画商レオ・カステリが登場します。カステリは、1907年、当時オーストリア=ハンガリー帝国の統治下にあったトリエステに生まれています。トリエステと言えば、illyに代表されるコーヒーの町ですが、カステリの実家も老舗のコーヒー輸入業者だったようです。1935年、銀行員としてパリに赴任したカステリは、画商ルネ・ドルーアンとともに初めての画廊を開いています。

第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤ系だったカステリはNYへと避難します。コロンビア大を卒業し、志願兵として欧州での諜報活動にも従事したカステリは、戦後、NYでキュレーター、ブローカーとして活動を開始。1957年には自身の画廊をアッパー・イーストにオープンします。翌年、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの個展を開いたカステリの画廊は、抽象画が主流だった現代絵画の世界に一石を投じ、以降、ポップアート、ミニマリズム、コンセプチュアルアートを世界に紹介していきます。カステリの画廊こそ現代アートの起点だったと言えるわけです。また、カステリは、それまで主流だった画家と画商の排他的な関係を打破し、他のディーラーとも連携して作品を展示・販売する方式をうち立てます。今では当たり前となったこのスタイルは、カステリ方式とも呼ばれています。

カステリは、アート市場をオープンなものに変えたわけですが、そのことも現代アートの普及に大いに貢献したものと思います。また、カステリは、作品の売れ行きに関わらず、一定期間、作家に給与を支払う方式を取り入れ、多くの作家たちを育てています。カステリは、1999年に亡くなりましたが、そのコレクションはスミソニアン協会のアメリカ美術館アーカイブに寄贈されています。なお、カステリ・ギャラリーは、今もメトロポリタン美術館近くの高級住宅街で運営されています。通りの向かいには老舗ホテルのザ・マークがあります。マークのバーで、画廊の存在を教えられましたが、さすがに現代アートの聖地にズカズカ入る勇気はありませんでした。(写真出典:emuseum.mfah.org)

「新世紀ロマンティクス」