今般、15年振りに日の出に出かけました。木造2階建ての店の風情も、もちろん味も変わっていませんでした。焼蛤はじめ、しゃぶしゃぶ、天麩羅など蛤づくしを堪能しました。蛤はすべて東京で言うところの大蛤のサイズです。桑名の蛤の身は、プリッとして大ぶりなだけでなく、とても柔らかく、また旨味が濃いことも特徴だと思います。加えて、前から不思議に思っていたのですが、日の出で蛤を食べると、何故か酒が進みます。貝類は肝臓にいいと聞きますが、食べた端から効くとも思えません。理由は判然としないものの、今回も沢山に燗酒をいただきました。コースの締めは、蛤雑炊が定番となっていますが、今回は、わがままを言って、中華麺も追加していただきました。これが、また絶品なわけです。
その手は桑名の焼蛤というくらいで、焼蛤は桑名名物です。名物だけに、日の出のこだわりもなかなかです。東京で焼蛤を食べると、貝の蓋がパカリと開いた状態で出てきます。二枚貝を焼けば、当然そうなります。貝の蝶番の部分には靱帯があり、常に貝を開く方向に力が掛けられています。貝が閉じているのは、貝柱の引っ張る力に依ります。火を入れて、貝柱が死ぬと、引っ張る力が失われ、貝は開くことになります。ところが、日の出では、完璧に閉じた状態で焼蛤が出されます。実は、焼く前に、この靱帯を、包丁を使って切断しているのだそうです。これは板前の技としか言いようがありません。貝を閉じたまま焼くので、いい具合の蒸し焼きになって旨味が閉じ込めらます。
国内で流通する蛤の多くは、チョウセンハマグリ、シナハマグリと呼ばれる外来種だと聞きます。桑名の蛤は、在来種である内湾性ハマグリです。外来種は外湾性であり、貝の殻が厚くなります。対して内湾性のハマグリは、海水の流れが穏やかなところで育つので、殻が薄く、身がプリッとして柔らかくなるのだそうです。桑名の蛤は、木曽三川が運ぶ豊富な栄養によって大きく育つとも言われます。ただ、ご多分に漏れず、桑名の蛤も漁獲量が激減しているようです。地元では、資源の保全のために様々な取り組みを行っているとのことです。漁獲量の制限はもとより、一定の大きさ以下の蛤は獲らない、人工干潟を整備する、さらには稚貝の種苗生産と放流も行われ、潮干狩りも禁止されているようです。
ところで、江戸地口の”その手は桑名の焼蛤”は、単なるダジャレの類いだと思っていましたが、どうやらそれなりに由来があるようです。桑名の焼蛤は、江戸末期に大ヒットした十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場します。江戸の職人である弥次さん喜多さんは、上方、讃岐の金比羅宮、安芸の宮島、信州の善光寺までと長旅をしますが、本来の目的はお伊勢参りです。七里の渡しで船を下りた弥次さん喜多さんは、軒を連ねる蛤茶屋の女性の呼び込み攻勢を受けます。今も観光地でしばしば目にする光景です。呼び込みが様々な甘言を弄することも変わらぬ光景だったようです。その甘言にだまされまいとする弥次さん喜多さんが”その手は桑名の焼蛤”と言い放つわけです。(写真出典:tabelog.com)