2023年11月25日土曜日

「ザ・キラー」

監督: デヴィッド・フィンチャー     2023年アメリカ

☆☆☆☆ー

希代の才人デヴィッド・フィンチャーが、Netflixに持ち込んだ企画です。2020年にアカデミー賞を逃した「Mank/マンク」に続くNetflixオリジナルです。本作は、フランスのコミックを原作としています。一見、絵に描いたようなネオ・ノワール映画に見えます。ただ、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「サムライ」(1967)やトレヴェニアンの「シブミ」(1979)へのオマージュであり、かつパロディ的でもあるというところが、この映画の面白さだと思います。デヴィッド・フィンチャーらしいきめ細かな映像と展開が光り、効果的にザ・スミスの音楽が使われるなど、実にスタイリッシュな仕上がりとなっています。あらためて、デヴィッド・フィンチャーのセンスの良さに驚かされます。

ジャン=ピエール・メルヴィルの監督・脚本になる「サムライ」は、孤独で冷静なプロの殺し屋を描いています。よく練られた脚本、静謐さをたたえた映像美、アラン・ドロンの名演もあって、フィルム・ノワールの傑作とされています。ただ、サムライは、フランスのフィルム・ノワールが得意とする男たちの友情や絆とはまるで異なる孤独をテーマとしています。映画は「サムライの孤独ほど深いものはない」というキャプションから始まります。そして、殺し屋の暗い部屋が前後に揺れるという有名なカメラ・ワークが続きます。サムライは、この始まりの時点で、典型的なフィルム・ノワールと決別していると言えます。あえてジャンルにこだわるとすれば、ネオ・ノワールの始まりと言えるかも知れません。

ジャン=ピエール・メルヴィルは、レジスタンスの闘士であり、フランス初の独立系映画作家であり、ヌーベル・ヴァーグの精神的支柱としても知られます。トレンチ・コートとフェドーラ帽へのこだわりなど、スタイルへの執着でも知られます。サムライは、いわばメルヴィル的美学の結晶のような作品だと思います。マーティン・スコセッシ、 クエンティン・タランティーノはじめ、多くの映画人が、その影響を受けているとされます。フィンチャーもその一人なのでしょう。出世作となった「セブン」(1995)のタイトルバックや冒頭のシーンには、あきらかにサムライの影響が見られます。フィンチャーも、メルヴィルと同様に完璧主義者として知られます。

ただし、ザ・キラーは、単なる現代版サムライでもありません。フィンチャーは、あえてサムライのフレームを使うことで、自らの美学とメルヴィルのそれとの違い、あるいは半世紀前とは大いに変わってしまった今の時代を強調したかったのかも知れません。サムライの冷徹な殺し屋は、内省的で求道者のような風情を持ちます。メルヴィルの東洋的な精神論への傾斜が反映されているわけです。ザ・キラーの主人公もプロフェッションに忠実で冷徹な殺し屋です。しかし、内省的でもなく、求道者的な人間性への信頼もありません。ドライに現実と向き合い、ハイテク機器や武器を巧みに使いこなし行動します。それは、物質文明にどっぷりと浸かり、組織、哲学等に頼ることもなく、あえて荒野で生きざるを得ない現代人の不毛と孤独を現わしているようにも思えます。

そういう観点から、主人公の殺し屋にマイケル・ファスベンダーという配役は見事だったように思います。それ以上にうまく行ったのは、ティルダ・スウィントンの起用だと思います。彼女の出たシーンが、この映画の背骨になっています。ところで、フィンチャーは、レベルの高い話題作を次々発表してきましたが、不思議なことに、一度もアカデミー賞を受賞していません。Netflixは、毎年この時期、アカデミー賞ねらいの作品を複数投入してきます。ザ・キラーも、その一つなのでしょう。2022年の「マンク」は獲れるかもと思いましたが、今回は難しいと思います。思うに、フィンチャーの映画の出来はいつも素晴らしいのですが、どこか器用さが目に付くところがあります。器用貧乏とまでは言いませんが、監督の思い入れといった部分で損をしているように思います。ライフ誌の記者だった父親の脚本を映画化した「マンク」だけは、器用さ以上のものを感じさせました。(写真出典:eiga.com)

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