2023年7月19日水曜日

税関吏の夢

アンリ・ルソー「夢」
アンリ・ルソーの絵をはじめて見たのは小学校高学年の頃だったと思います。それ以降、アンリ・ルソー的なジャングルが、しばしば夢にでてきます。ルソーの絵が持つ不思議なパワーだと思っています。アンリ・ルソーは、19世紀末から20世紀初頭のナイーフ派の画家です。ナイーフ派とは、絵画に関する正式な教育も受けず、画家を職業ともしない素人画家を指します。アンリ・ルソーの職業は税関吏でした。他にも園芸業だったアンドレ・ボーシャン、農民だったグランマ・モーゼス、家政婦だったセルフィーヌ・ルイ、魚屋の妻だったモード・ルイス等々が知られます。身近な画題を独学の素朴なタッチで描くことからナイーフ派と呼ばれますが、流派や運動が存在するわけではありません。 

素人画家という意味では、いつの時代にも、人知れず多く存在していたのでしょうが、一つのジャンルとして認識されるきっかけとなったのは、アンリ・ルソーが”発見”されたことだったようです。1908年、ピカソがモンマルトルの古物屋で、アンリ・ルソーの「女性の肖像」を見つけ、わずか5フラン(200円弱)で購入します。これが、いわゆる”洗濯船”に集う画家や詩人に驚きを与え、ルソーを招いて盛大な夜会まで開かれます。アンリ・ルソー64歳の時のことです。ルソーは、既に税関を辞め、年金暮らしをしながら絵に専念していました。新しい芸術を指向していたボヘミアンたちに”発見”されたルソーですが、その2年後には亡くなっています。ピカソは、ルソーの絵を数点購入し、終生、手元においていたと言われます。

ピカソは、ルソーを発見する前年、アフリカ彫刻に触発された「アビニヨンの娘たち」を発表し、キュビズムの世界へと入っています。また、マティスやブラマンク等はフォービズムを展開していた頃です。つまり、美術界の気鋭たちは、プリミティヴィスムの大きな流れのなかにあり、ルソーも、その文脈のなかで認識されたと言えるのでしょう。プリミティヴィスムは、文明の進化に批判的で、自然であることを重視するという意味において、古代から絶え間なく存在した思想です。ストラヴィンスキー、ポール・ゴーギャン等が象徴とされる近代のプリミティヴィスムでは、反植民地主義、エキゾチシズム、反産業革命、ユートピア論なども含まれる傾向にあります。では、アンリ・ルソーは、プリミティヴィズムの画家だったのでしょうか?

ジャングルやアフリカの動物といった画題からすれば、確かにプリミティヴィスムの作家とも思えます。ただ、ルソーは、ナイーフ派の画家らしく、人物、風景、静物等と身近な画題を多く描いています。ルソーが、他のナイーフ派と大きく異なるのは、夢や幻想の世界へ足を踏み入れたことだと思います。しかも、それは主義主張とは無縁のごくシンプルな夢想の世界だったのでしょう。絵画の基本とは無縁な描き方は、確かにプリミティブとも言えますが、プリミティヴィスムとは異なります。夢想したことを絵に落とし込む執念、対象をごく細密に描きあげる執念。そこには、観るものの目線など一切気にしない自己完結の世界があります。そのスタンスこそ、プリミティヴィスムなど吹き飛ばすほどプリミティブだと言えます。

そもそも絵を描きたいという欲求、あるいは表現したいという衝動自体がプリミティブなものだと思います。そこに、鑑賞者の視線を意識する、伝えたいという欲求が強まるなど、他者への意識が加わると画家が生まれるということなのでしょう。そういう意味で、アンリ・ルソーは、アウトサイダー・アートの嚆矢なのかも知れません。タヒチへ移住したポール・ゴーギャンは、プリミティヴィスムの象徴となりました。ただ、タヒチで複数の少女を妻としたことから、移住の動機は文明批判ではなく、性的欲求だったという批判があります。もしそうだったとすれば、そのこと自体が、最もプリミティブだと思えます。ちなみに、かつて高熱を発した時に、よく見た夢があります。コロンビアのフェルナンド・ボテロが描くぼってりとした人物が、さらに膨張していく夢です。何故ボテロなのかは不明ですが、実に強烈な夢ではあります。(写真出典:amazon.co.jp)

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