2023年5月4日木曜日

「一晩中」

監督: シャンタル・アケルマン    1982年ベルギー・フランス

☆☆☆+

ブリュッセルの夏の暑い一夜、男女が出会い、別れ、追い、追われるスケッチだけで構成される映画です。個々のスケッチはとても短いのですが、背景に横たわるドラマを十分以上に想起させ、見ていて飽きることはありません。それどころか、何本かのドラマを一気に見たような印象すら受けます。ある意味、映画監督なら一度はやってみたくなるハイライト・シーンのカタログのようなものです。ところが、それを一本の映画として成立させるのは、並大抵の技ではありません。一つ一つのスケッチの奥深さの勝負になるからです。極端に言えば、数十本の映画を制作するのと同じエネルギーが求められるわけです。20世紀を代表する巨匠シャンタル・アケルマンならではの作品だと思います。

シャンタル・アケルマンは、1950年、ブリュッセルのユダヤ人実業家の家に生まれています。15歳のおり、ジャン=リュック・ゴダールの「気狂いピエロ」に影響を受け、18歳で短編映画を制作しています。24歳で監督した「ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(1975)は高い評価を得て、昨年も、英国の映画雑誌が企画した”史上最高の映画”で第1位に選出されています。フェミニズム映画の金字塔とも言われます。シャンタル・アケルマンは、ありきたりな文学作品など足元にも及ばないほど、完成度の高い映像文学を作り出します。それはフェミニズムという枠に収まること無く、映画史全体に大きな足跡を残していると思います。

アケルマンの映画の特徴の一つは、美しく、かつ緊張感のある映像です。必ずしも絵画的な美しさではなく、映画としての奥行きやダイナミズムを感じさせる映像です。また、ゆったりとしたロング・テイクも途切れることのない緊張感を生んでいます。いずれも監督の力量なくして実現できません。また、構造主義的アプローチゆえに生まれる緊張感なのかも知れません。アケルマンがテーマとするのは、フェミニズムと言われます。確かにそのとおりなのでしょうが、その背景には、人間の孤独という普遍性の高いテーマが横たわっているように思います。アケルマンが執着したのは、孤独がゆえに愛を求め、愛を知ったがゆえに一層深い孤独に陥る、というジレンマだったと思います。

アケルマンの映画には、モティーフとして死が多く使われていると言われます。それは孤独をテーマとする場合の必然的な選択だとも思えます。死は本質的に孤独なものですが、同時に孤独からの解放でもあります。プルーストの「失われた時を求めて」第5編「囚われの女(原題は囚人)」を原作とする「囚われの女(原題は捕虜)」(2000)では、女だけでなく男も孤独という檻の中に囚われています。また、彼女の長編ドラマの遺作となった「オルメイヤーの阿房宮」(2011)は、コンラッドの「オルメイヤーの愚行」を原作としています(阿房宮は翻訳本の意訳タイトル)。フェミニズム、人種差別という視点が注目を集めますが、オルメイヤーの絶望的な孤独の物語でもあります。

同じように「一晩中」で積み重ねられるスケッチが紡ぐのは、ブリュッセルの街の風情ではなく、孤独がゆえにもがく人々の姿のように思えました。もがけば、もがくほど、その孤独さが露わになります。市井は、囚われた男女やオルメイヤーであふれているわけです。シャンタル・アケルマンは、長編ドラマだけでなく、精力的にドキュメンタリーや短編映画も制作しています。また、ベルリン映画祭の審査員やNYのシティ・カレッジの講師などにも就いています。アケルマンは、2015年、パリで亡くなっています。鬱病を患ったうえでの自殺だったようです。(写真出典:imdb.com

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