2023年3月31日金曜日

数珠

星月菩提樹数珠
インドのサルナートへ行った際、星月菩提樹の数珠を買いました。サルナートは、ヴァラーナシー(ベナレス)の北に位置し、悟りをひらいた釈迦が初めて説法した初転法輪の地とされます。漢訳仏典では、鹿野苑とも呼ばれます。巨大なダメーク・ストゥーバをはじめ、4~6世紀に建てられた僧院跡が残ります。これまでまともな数珠を持ったことがありませんでした。これからは使う機会も増えるだろうと思い、仏教の聖地を訪れた記念に買ったわけです。釈迦は菩提樹の木の下で悟りを開いたとされます。その菩提樹は、挿し木で生き延び、現在、ブッダガヤの大菩提寺に植えられているようです。もちろん、その菩提樹から作ったわけではありませんが、星月菩提樹の数珠は功徳が高いとされます。

数珠の起源は諸説あるようですが、3500年以上前のバラモン教の聖典に「連珠」という記載があるようです。ヒンドゥー教では、祈りの回数を数えるために使われていたとも言われます。仏教における数珠は、いくつかの経典に記載があるようですが、なかでも「木槵子経」がよく知られています。釈迦が波瑠璃王に対して、木槵子(ムクロジ)の実108個で数珠を作り、仏・法・僧を称える毎に珠を繰り、それを百万遍繰り返せば、煩悩を滅し、涅槃に到ると説いたとされます。仏教においても、数珠は祈りの回数を数えるという性格を持っていたわけです。カソリックにおけるロザリオも、同様にカウンターとしての性格を持つようです。カウンターは、次第に読経の代替効果も持つようになっていきます。

日本には、6世紀、仏教が伝わると同時に数珠も持ち込まれたようです。当初、仏教は、鎮護国家を目的とする宗教だったため、数珠は、貴族と僧侶だけが持つ特殊な法具でした。貴重なものでもあったようで、現に、正倉院にもいくつかの数珠が御物として納められています。平安末期から鎌倉期、宗教改革の時代を迎えると、いわゆる鎌倉新仏教が民衆の間に広がり、信徒たちも数珠を使うようになります。江戸期になり、幕府が社会管理体制に寺院を組み込むと、仏教の地位は上がりますが、一方で形式化も進みます。数珠も一般化し、形式的な仏具になっていきます。それまで売買の対象ではなかった数珠は、元禄期に至り、一般的に販売されるようになったようです。

形式的になったとは言え、仏事における数珠は読経の代替であることに変わりありません。我々の年代は、仏事と言えば、数珠を持っていきますが、若い人たちは気にもしていません。廃れていく文化の一つなのだろうと思っていました。ところが、20年くらい前から、数珠を手首に巻いている若い人が目につき始めました。後輩の一人が、数珠を付けていたので、思い切って、それは何かの宗教なのか、と聞いてみました。これは、数珠ではなく、パワー・ストーンですとの回答。パワー・ストーンは、大ブームとなり、二重三重に手首に巻いている人も多く見かけました。水晶はじめ石には不思議な力があると信じる人々は、古くから存在していたわけですが、手首に巻くというところが新しかったのでしょう。

宗派によっても異なりますが、僧侶が読経の際、数珠を摺り合わせて鳴らすことがあります。これには祈願の意味があるようです。より強く願うことを直接的に表わしているのでしょう。室町期に成立した能・狂言では、悪霊調伏のために、山伏が数珠を摺って鳴らすシーンが出てきます。これも、悪霊を退治してください、と仏に願っているということなのでしょう。数珠を鳴らすことは、密教由来とされます。数珠の姿は、宗派によっても異なりますが、天台宗では平玉の数珠を使います。平玉は、摺り合わせた際、より大きな音が出ると聞きます。能で山伏が悪霊調伏する際に使うのは刺高数珠と呼ばれる平玉の数珠です。修験道と密教の関係の深さを感じさせます。(写真出典:yasuda-nenju.jp)

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