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BLACKPINK |
ガールズ・グループの歴史は、かなり古く、1920年代から存在したようです。当初は色物的扱いだったようですが、ほどなくヒット・チャートの常連になっていきます。ガールズ・グループを一つのジャンルにまで押し上げたのは、1961年に"Will You Love Me Tomorrow"を大ヒットさせたシュレルズだとされます。ちなみに、この曲は、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キング夫妻の作品です。以降、ガールズ・グループが乱立しますが、時代を大きく変えたのがスプリームスです。いまだ破られることのない多くの記録をうち立てたダイアナ・ロスとスプリームスは、モータウンの女王でした。ただ、売上では、90年代に登場するスパイス・ガールズとTLCが記録を塗り替えています。
日本のガールズ・グループの歴史は、ザ・ピーナッツを別格とすれば、ピンク・レディーやキャンディーズに始まるのでしょう。そして、ゲーム・チェンジャーとなったのがおニャン子クラブやモーニング娘だったと思われます。ここでアイドルの形が変わり、オーディンションから始まる流れ、あるいはマスゲーム・ダンスが生まれます。そしてAKB48から、ファンの組織化という新たな動きが加わります。ただ、恐らくSPEEDの存在を忘れるべきではないのでしょう。鎖国状態を続ける日本のポップ音楽界にあって、ガールズ・グループは、多少なりともアジア各国に影響を与えました。なかでも、ダンスを重視したSPEEDの成功は、後の韓国ガールズ・グループのロール・モデルになったのではないでしょうか。
日本の音楽界をはるかに超える韓国ガールズ・グループの成功ポイントは、”完全燃SHOW”でプロが指摘したとおりなのでしょうが、その背景には2つの大きな要因があると思われます。一つは、コンテンツ輸出の国家プロジェクト化と規制緩和、そして、それに基づく徹底的なマーケティングの展開と裾野の広い産業化です。1997年、アジア通貨危機の際、介入したIMFは、韓国政府にコンテンツ輸出政策を求めます。映画「パラサイト」がアカデミー作品賞を獲得し、BTSやBLACKPINKが世界市場を席巻するに至った起点はここにあります。マーケティングに関しては、ネット活用はじめ様々な手法が見事ですが、何よりもターゲットを世界、特にアメリカに定めた点が成功の鍵だったと思います。それによって、音楽は、楽曲に留まらない巨大なビジネスとして成立することになります。
例えて言えば、韓国の音楽界は国際的に活動する巨大メーカーであり、日本のそれは家内手工業といった風情です。当然、巨大メーカーは、数年先のビジネスを企画し、その準備に余念がありません。音楽は不確実性の高いビジネスです。時代や聴衆の変化に左右されるからです。日本の音楽界は、ミュージシャン個人の感性に負うところが大きいわけですが、韓国では、ビジネスとしてのメカニズムが、時代の先を読み、あるいは時代を仕掛けていくことになります。恐らく、韓国では、成功したビジネス・モデルとしてのガールズ・グループの次の形が準備されており、さらにはガールズ・グループの先のビジネスが仕込段階に入っているものと考えられます。もちろん、産業化された音楽がすべてだとはまったく思いません。音楽は多様なものであるべきです。ただし、ビジネスとしての韓国音楽界の成功は、賞賛に値すると思います。(写真出典:iflyer.tv)