上京後は、展覧会に出品しても落選が続き、鳴かず飛ばずだったようです。ある時、川上澄生の版画「初夏の風」に出会い衝撃を受けた志功は、版画の道に入ります。1936年、佐藤一英の詩「大和し美し」を題材とした作品が高く評価され、民芸運動との関わりのなかで、その画風を磨きます。戦時中は、富山県の南砺市に疎開し、そこで浄土真宗と出会います。以降、仏教的要素の濃い作品が続き、1948年には改刻した代表作「二菩薩釈迦十大弟子」を発表しています。また、1956年には、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品した釈迦十大弟子や「湧然する女者達々」が、日本人初となる国際版画大賞を志功にもたらします。1970年には文化勲章も受章しています。
志功は、自らの版画を”板画”と呼び、あくまでも木版版画にこだわり続けました。ほとばしる思いを彫刻刀に乗せて彫りつける大胆なタッチは、ゴッホの筆に通じるものがあります。板画でも倭画と呼ばれる肉筆画でも、彩色された作品が多くあります。その色彩は、ひと目見ただけで志功だと分かるほど独特です。私は、志功の色彩を見ると、チベットの祈祷旗タルチョを思い出します。寺院や峠などで、紐に付けられ、たなびく五色の旗です。色は、青・白・赤・緑・黄であり、順番もこのとおりと決まっています。風にたなびくことで、読経と同じ意味を持つと言われます。志功の独特な色彩も、祈りの色なのかも知れません。
志功の板画や倭画が伝えるプリミティブなパワーは、どこか縄文文化に通じるものがあるように思います。それは、津軽三味線やねぶた祭といった津軽の文化にも重なるところがあります。志功のねぶた好きは有名でした。NHKの看板アナウンサーだった鈴木健二は、自らも画家を目指したほど美術に造詣が深く、かつ旧制弘前高校出身だったこともあり、志功とも交友がありました。志功没後でしたが、その鈴木健二が、ねぶた祭の生中継を行った際のことです。ねぶたの熱気に高揚した鈴木健二は、ここに志功さんがいてくれたら、と泣き出します。放送事故とも言えますが、TVを見ていた私も、もらい泣きしました。志功とねぶたは、切っても切れない強い絆で結ばれています。志功の色は、ねぶたの色なのかも知れません。
志功の作品を展示する美術館は、青森市の棟方志功記念館はじめ、全国に少なからず存在します。なかでも有名なのが倉敷の大原美術館です。「二菩薩釈迦十大弟子」を常設展示するために棟方志功展示室が作られています。その大原美術館の裏手には、倉敷国際ホテルがあります。吹き抜けのロビーには大作「大世界の柵・坤(こん)ー人類より神々へー」が飾られています。大原總一郎氏が、ホテル開業にあわせ、志功に制作を依頼した作品です。木版画としては、世界最大と言われています。大原美術館に行く際には、立ち寄るべきだと思います。(写真出典:soukaku.co.jp)