2022年9月1日木曜日

流言飛語

1923年9月1日に発生した関東大震災から、100年が経とうとしています。マグニチュード7.9の巨大地震は、相模湾北部を震源とし、関東一円に大きな被害をもたらしました。マグニチュード9クラスの地震は、日本の歴史上、東日本大震災を含め、数回、発生していますが、被害規模において、関東大震災の死者10万5000人を超える災害は存在しません。世界的に見ても、10指に入る被害規模です。震源に近い神奈川、そして地盤の弱い東京下町での被害が多く、かつ死者の9割以上が焼死しています。ちょうど昼食の支度時であり、木と紙でできた民家が密集する地域に、おりからの強風が吹き付けるという最悪の条件が重なりました。なかでも、10万人ともいわれる人々が避難していた本所の陸軍被服本廠跡地を襲った火災旋風は、一瞬にして38,000人の命を奪いました。

火災の他に、建物の倒壊、津波、土石流、列車事故でも多くの人命が失われています。そして人災以外の何物でも無い朝鮮人虐殺でも、多くの人命が失われています。正確な犠牲者数は、今でも不明のままです。当時の司法省は、233名の朝鮮人、朝鮮人と間違えられた日本人58名、中国人3名が犠牲となったと報告していますが、実際には、もっと多かったのではないかとも言われています。虐殺の多くは、震災発生直後から広がったとされる流言飛語に基づき、急遽、各地で組成された自警団によって行われています。なかには、自警団が警察を襲撃して、保護されていた朝鮮人を殺したケースもあります。また、朝鮮人か否かを判断するために、語頭の濁音を発音させるなど、いわゆるシボレスも行われ、方言しか話せない日本人が誤って殺されたケースもあります。

流布した流言飛語は、朝鮮人が放火している、集団で暴行を働いている、井戸に毒を入れている、といったものでした。背景には、朝鮮半島や台湾での反日運動、シベリア出兵、あるいは国内における社会主義者の台頭といった社会不安があったと言われます。当時は、ラジオ放送開始前であり、唯一の情報源だった新聞社も震災で機能が停止しました。いわばこの世の終わりを目の当たりにした人々は、不安と思考停止に陥り、砂に水が染みこむように、流言飛語を受け入れていったのでしょう。警察は、流言飛語の発生を察知し、警戒するよう内部に指示します。ただ、これが外部に流出し、信頼すべき筋の情報として、火に油を注ぐことになりました。すべてが、自警団による虐殺というマス・ヒステリアに向かって、転がっていったわけです。

流言飛語が、自警団のなかで虐殺へとつながるプロセスは、容易に想像できます。小耳にはさんだ情報を自慢げに伝える人、権威主義的な風土のなかでの警察情報の重み、理性的な判断を押しつぶす声高で威勢のいい発言、結局、少数派になって非難されたくないという心情が働き、マス・ヒステリアが生み出されていきます。集団が常に持っている潜在的なリスクです。会社生活のなかでも、似たような光景を、幾度ととなく目にしてきました。自警団の数は、4,000を超えていたようですが、全てが朝鮮人を虐殺したわけではありません。虐殺者は、ごく一部であり、軍や警察、そして一般人も、多くの朝鮮人を保護しています。震災後、虐殺者たちは逮捕されますが、情状酌量され、不起訴処分になっています。政府は、虐殺か否かに関わらず、震災で亡くなった朝鮮人に、日本人の10倍以上の弔慰金を支給しています。

東日本大震災直後に訪れた三陸の町で、支援の網からもれた外国人労働者たちが、食料を求めて、略奪を行っているという噂を聞きました。また、別な町では、自暴自棄になった男たちが、手当たり次第にレイプを繰り返しているという噂も聞きました。事実か否かは分かりませんが、関東大震災の朝鮮人虐殺を思い出し、ゾッとしました。恐らく、似たような話は、各地にあったのでしょう。しかし、マスコミは、そうした報道をしていません。事実確認がとれなかったからだとは思いますが、一部事実が確認できたとしても、あえて報道しなかったのかもしれません。流言飛語は昔の話ではありません。むしろ、SNSの時代、その流布は、早く、広く、過激になると思われます。また、マス・ヒステリアの発生は、いつの世でも起こり得る集団の宿命とも言えます。関東大震災の教訓は、いつまでも、しっかりと伝えられるべきだと思います。(写真出典:huffingtonpost.jp)

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