さらに、節電ポイントなどというお粗末な案が出るに及んでは、呆れすぎて、開いた口が塞がりません。コロナ対策の給付金などで、バラマキ慣れした政治家が、参院選を前に思い付いた下策中の下策です。コロナの感染拡大で、政治家の倫理観も病んでしまったのかと思います。今回の電力需給逼迫の背景として、記録的猛暑の他に、原子力発電所、火力発電所の稼働率の低さ、コロナによる家庭電力消費の増大、ウクライナ情勢によるエネルギー市場の不透明化等が挙げられています。火力発電所は、脱炭素化という圧力のなかで老朽化が進んだことに加え、3月の福島沖地震で東北の発電所が被害を受け、依然として稼働できていないことも理由とされています。
ウクライナ以外は、すべて想定の範囲内の話です。しかも、ウクライナ関連の不安定要素は理解できますが、まだ足元の影響はわずかなものに留まっています。つまり、政府が、十分な対応を取っていなかったことが電力逼迫を招いていると言えます。そのつけを国民に節電という形で回しているわけです。この電力の無策は、参院選の争点にすらなっていません。政府を無策と批判するのは間違いという可能性もあります。政府は、原子力発電所再稼働に向けた世論形成のために、意図的なサボタージュを行っている、という見方もできます。だとすれば、国民を馬鹿にした対応です。姑息な手法であり、安倍元首相お得意の手法です。政府は、中長期の電力政策を提案し、議論し、ロードマップとして具体化すべきだと思います。
EVはじめ電力への依存を高めつつ、カーボン・ニュートラル化を進めるためには、代替エネルギーに頼らざるを得ません。しかし、代替エネルギーの発電効率は、極めて悪く、かつ有効な蓄電技術も不十分な状況です。急速な代替エネルギー化は、コスト増に直結します。必要ならば、国民は、コスト増も節電も受け入れざるを得ません。冷房の効いた部屋で、原子力発電反対など議論してはいけません。より現実的には、原子力発電の安全性を高めつつ、火力発電の効率を高めつつ、その間に、代替エネルギーや蓄電の技術を進化させていくしかないと思います。それをロードマップとして国民が共有することこそが、今、最も必要とされる電力政策だと思います。
東日本大震災直後の節電や計画停電は、まだ記憶に新しいものがあります。薄暗く、人出の消えた東京は、実にさみしいものでした。しかし、一方で、平生、いかに無駄な電力消費を行っているか、ということも知らされました。中国共産党は、三峡ダムで生み出す電力で、上海をド派手にライトアップしています。明るい夜は、人類の夢でもあり、進化の象徴でもあるのでしょう。しかし、無駄な電力消費が地球と人類に与える影響を考えるべき時が来たとも言えます。私案ではありますが、一定規模以上のネオンサインやライトアップ等については、料金か税金を上げてもいいのではないでしょうか。(写真出典:suzuki.co.jp)