スタッフの皆さんが、どうやら、上海の朝食は白粥だ、と言っているようだったので、試してみました。例えば、香港や横浜中華街などで食べる広東系の粥は、鶏やホタテのスープで炊く、味付きのものです。これに、様々な具材を組み合わせて食べると、とても美味しいものです。対して、白粥と言えば、病人食のイメージが強く、多少心配でした。ところが、これが絶品であり、やさしい美味しさに魅了されました。結局、土鍋一つを空けてしまいました。日本で粥といえば、炊いたご飯をお湯で柔らかくしたものが主流ですが、生米からじっくり炊きあげる中国粥は、まるで別物です。
上海の白粥は、米本来のやさしい味をしっかり楽しめます。とても消化に良いだけでなく、米の持つ滋味が健康を保つとも言われます。後年、さる上海人が、最も好きな料理として白粥を挙げていましたが、理解できる話です。とは言え、白粥だけでは心許ないので、何を付け合わせにすべきかと、スタッフの皆さんに聞きました。すると、一同、声を合わせて言ったものがありました。理解できないままに、それをオーダーしました。単なる大根の醤油漬けでした。ところが、これが、まさにベスト・マッチ。他には、何もいりません。聞けば、これが伝統的な上海の朝ご飯なのだそうです。
当時の上海の飲食店には、綺麗なチャイナ・ドレスを着た細身の看板娘がいたものです。数年前に上海を訪れた際には、さほど目につきませんでした。昔の風習だったのでしょう。ホテルのレストランにもいました。他のスタッフに比べて、いくらかは多くの英単語を知っていました。私が、何か英語で言うと、彼女が必死で理解しようとし、それを中国語にして他のスタッフに伝えます。すると、そこで中国語の議論が始まり、結論が出ると、彼女が単語を並べて、私に伝えるというパターンが多かったように思います。一人で食事する私を気を使って、彼女が話しかけてくれることもありました。残念ながら、ほぼ何を言っているのか、分かりませんでした。
思えば、30年前の上海は、まだまだ牧歌的な世界だったわけです。その後、急速に発展した現在の上海からは想像もできないくらいです。その年、私が、中国へ行ったのは、六四天安門事件から5周年となり、何か起きるのではないか、と思ってのことでした。6月4日、天安門広場に行きましたが、何も起きませんでした。30年以上も経てば、なおさら何も起きないのでしょう。社会主義市場経済という不思議な体制は、天安門事件を契機に打ち出され、今に続きます。設計上、多少無理のある構造物は、弱いところに力がかかり過ぎ、バランスを失うものです。香港やウイグルの問題はあるものの、いまだ堅牢に見える共産党政権は驚異的とも言えます。(写真出典:crea.bunshun.jp)