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福建土楼 |
華僑、Overseas Chineseは、明代の鄭和による南海遠征、および倭寇から始まるとされます。最初の大きな波は、明代末期に起こります。海禁政策のもとで行われた朝貢貿易や勘合貿易、後には海禁の緩和によって、中国の海外貿易は拡大し、多くの中国人がアジア一帯に貿易拠点を築いていきます。満州族の清朝が起こると、圧迫された漢民族の海外脱出の波も起きています。次の大きな波は、清朝末期の政情不安を背景とした海外脱出、およびクーリー(苦力)貿易として起こっています。クーリーの多くは、鉄道建設や西部開拓に沸くアメリカに渡り、奴隷貿易の衰退で減ったアフリカ人奴隷の代替となっていきます。華僑は、ユダヤ人、アルメニア人、インド人と共に、四大移民とも呼ばれるまでになります。
その後、移民たちは、世代を超えて現地化していきます。各地の経済を握り、財力を背景に政治にも進出していきます。タイの首相タクシン・インラック兄弟、フィリピンのマルコス・アキノ両大統領、シンガポール首相のリー・クアン・リュー親子等は、現地化した華僑です。また、インドネシアの現地化した華僑たちは、5%程度の人口で、富の8割を保有するとも言われます。華僑の出身地は、広東、福建が多いとされますが、なかでも興味深い存在が客家です。客家は、漢民族ですが、春秋戦国時代、中原での戦いに敗れ、南部に逃れた王族たちを祖先とします。土着民ではないので、客家と呼ばれ、一族で団結して生きてきました。一族が集合して暮らす円形の福建土楼は、世界遺産としても有名です。中国のユダヤ人とも呼ばれるほど優秀な人材が多く、華僑の中核を成していると言われます。
華僑の団結と成功には、言語が深く関わっていると言われます。中国は、多民族・多言語国家です。漢字が、表意文字として成立したのは、多言語ゆえとも言われます。華僑が移民先で商売を始めると、家族、一族、そして同じ言葉を話す同郷の者が呼び寄せられます。その中から独立する者が現れ、同じ事を繰り返します。こうして同じ言語という強い絆で結ばれたネットワークが形成されていきます。華僑ネットワークは、その成立経緯からして排他性が強くなります。それが世界各地にチャイナ・タウンを生んでいくことにもなりました。サンフランシスコ、NY、横浜、シンガポール等々のチャイナ・タウンは、街の名物・名所となるほど大きな規模を誇ります。サンフランシスコで聞いた話ですが、チャイナ・タウンで生まれ育った中国人のなかには、英語を話せない人たちもいるとのこと。それで生きていけるほどの規模を持っているとも言えます。
旧植民地で構成される英国連邦のなかに、いまだエリザベス女王を国家元首とする国々があります。英連邦王国です。そのなかのカナダ、オーストラリア、ニュージーランド等といった主要国は、英国移民が建国した国々です。産業革命以降、人口が爆発的に増えた英国では、海外移民が急増しました。武力で奪取した土地は、武力で奪われる可能性があります。しかし、移民の数と財力によって勝ち得た土地は、その支配が固定化していきます。圧倒的に人口の多い中国とインドにおける今後の移民動向は、世界の地図を塗り替え、固定化していく可能性を持っているとも言えます。(写真出典:sumally.com)