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日光東照宮の眠り猫 |
落語「竹の水仙」です。落語には、他にも「三井の大黒」や「ねずみ」といった左甚五郎の噺があります。どれも同じような構図を持った噺になっており、ボロをまとい、皆に馬鹿にされる男が、ある日、とんでもない傑作を彫り、名前を聞いて皆がひれ伏すという次第です。水戸黄門、遠山の金さんはじめ日本人の大好きなカタルシス・パターンです。東洲斎写楽と左甚五郎は、江戸期を代表する謎の名工だと思います。いずれも名作が今に伝えられますが、人物については判然としない面があり、実在を疑問視するむきすらあります。左甚五郎の傑作として知られるのが、日光東照宮の眠り猫です。裏には雀が彫られています。眠っている猫なら雀も襲われない、という世の安泰を願う作品と言われます。
実存説を裏付けるという文献によれば、左甚五郎は、16世紀末に播磨国の武家に生まれ、父の死後、飛騨高山の叔父のもとで養育されます。甚五郎は、京で宮大工に弟子入り、後に江戸で活躍します。江戸城改築の際、抜け穴に関わる秘密保持のために殺されかけ、讃岐国の藩主に匿われます。晩年は京に戻り、禁裏大工の棟梁になったとされます。各地に残る甚五郎作と言われる作品の製作年代を調べると、前後三百年くらいの幅があると言います。一人の人間ではなく、飛騨高山の名工たちの総称ではないか、という説もあります。左と言う名字も、飛騨がなまったものだとも言われます。恐らく実在した名工なのでしょうが、飛騨の腕の立つ職人が彫った作品を、周りの人々が甚五郎作と言いはじめたのではないでしょうか。
左甚五郎と言えば、忘れてはならないのが、知恩院七不思議の一つ、御影堂の忘れ傘です。御影堂の軒裏に見えるボロボロの唐傘です。知恩院の説明によると、忘れ傘の由来については二説あるそうです。御影堂を建てた左甚五郎が魔除けの効力があるとされる傘を置いたという説、そして、御影堂再建前、ここに住んでいたという白狐が置いていったという説です。しかし、ごく一般的に知られる話は、甚五郎が、完璧な出来を避けるために置いたという説です。当時、完璧に完成した建造物は、神の怒りに触れると信じられていたようです。そこで、一部だけ未完成、あるいはわざと間違いを作り込むということが行われてきました。東照宮陽明門の逆柱、姫路城の逆さアゲハ紋、あるいは、知恩院の瓦の葺き残し等も知られています。建物は完成した瞬間から崩壊が始まるので、あえて未完成のままにするとも言われます。人間の思い上がりを戒めるという意味合いもあるのだと思います。
石清水八幡宮には、落語顔負けの伝承があります。西門に見事な猿の彫刻があり、左甚五郎作と言われます。この猿、よく見ると片目に釘が打ってあります。猿は、あまりにも完璧に彫られたために魂が宿り、夜な夜な八幡宮を抜け出し、里で悪さを働いたそうです。困った農民たちが、八幡宮に相談したところ、止むなく目に釘を打ち、抜け出せないようにしたというのです。左甚五郎自身が、完璧を避けるために行ったことかも知れません。もし、そうだとしても、目に釘を打つのはやり過ぎのように思います。甚五郎がやってないとすれば、一体、誰が、何のために、という謎が残ります。あながち伝承は作り話とも言えないのかも知れません。(写真出典:4travel.jp)