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R・マクナマラ |
ジョン・F・ケネディは、第35代米国大統領に選出されると、国中から優秀な人材を集め、組閣します。いわゆる「べスト&ブライテスト」と呼ばれる人たちです。例えば、国防長官ロバート・マクナマラは、ハバード・ビジネス・スクールの俊才にして、凋落したフォード・モータースを徹底的な合理化と数値管理で再生させた若手社長でした。そのべスト&ブライテストたちが、なぜ泥沼のヴェトナム戦争に突入したのかを詳細にドキュメントしたのが、ピュリッツアー賞を獲得したデイヴィッド・ハルバースタムの名著「べスト&ブライテスト」です。
1954年、ディエンビエンフーの戦いで、ヴェトミンに敗れて撤退したフランスに替わって、アメリカがヴェトナムへの介入を開始します。当時は「ドミノ理論」、つまり一国が共産主義化すれば、隣国も赤化するという考えが支配的でした。アメリカは、南ヴェトナム政府に対して、軍事支援を強化していきます。こうした中で発足したケネディ政権の課題は、戦争を始めるか否かではなく、いかに状況を打開するかでした。ケネディ政権は、軍事顧問団の派遣、クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤の使用等を次々に判断していき、結果、抜き差しならない泥沼へと入っていきます。
政権内部での議論は、まるでハバート・ビジネス・スクールのケース・スタディのように進みます。個々の判断は、優れて合理的な解答だったのでしょう。マクナマラは、97年に出版した回顧録のなかで、往時を振り返り「我々は『なぜヴェトナムなのか』と問うべきだった」と繰り返しています。政治の素人だった優等生たちは、与えられた状況、条件のなかで、最も合理的で、最も効率的な判断を行っていたと思われます。ケネディ政権にとって、ヴェトナム戦争とは自由主義と共産主義の戦いでした。一方、ヴェトナム人にとっては、民族自決の実現に向けて戦ってきた戦争の一部でした。歴史を背負って、民族のために戦う兵士と、故郷を遠く離れ、意味不明な戦争を戦う兵士では、モチベーションがまるで違います。
ヴェトナム人たちは「ホー・チ・ミンの偉大さは、ヴェトナム人にとって何が最も大切かを教えてくれたことだ」と言います。それは民族自決であり、独立の確保です。ケネディ政権は、それを理解していませんでした。と言うか、そもそもヴェトナム介入の目的に関する議論を行っていなかったわけです。社会が目的とするところを明らかにして、国民の合意を得ることは、政治が果たすべき大きな役割です。政治家は、しばしば、この面倒極まりないマクロ的議論を疎かにし、大衆にとってより分かりやすいミクロ的政策論に走ります。これが、政治の世界で合成の誤謬が頻繁に発生する所以だと思います。昨今のポピュリズム、ポスト・トゥルースといった政治現象は、間違いなく大きな誤謬を生み出していくものと考えます。(写真出典:ja.wikipedia .org)