エヴェレストの累計登頂者は5,600人を超えていますが、K2は、わずか309人。死亡率は、エヴェレストが1%なのに対して、25%を越えており、「非情の山」とも呼ばれます。切り立った斜面のみならず、エヴェレストよりはるかに厳しいと言われる気象条件、さらに5,000m級の峠や7,000m級の山をいくつも超えるアプローチの過酷さが、これまでまったく人を寄せ付けなかったわけです。冬季はなおさらです。K2冬季初登頂は、ヒラリーとテンジンによるエヴェレスト初登頂に匹敵する大偉業だと思います。そして、それを実現したのが、シェルパ族と聞き、心を動かされました。
シェルパ族は、ネパールのエヴェレスト南麓に居住する少数民族です。17~18世紀、チベット東部から迫害を逃れて移り住んだと言われます。放牧を主な生業としていましたが、20世紀に入り、欧米人中心にヒマラヤ登山が始まると、ポーターやガイドとして活躍するようになります。近年のエヴェレスト登山ブームのなか、シェルパ族のカリ・ミタは、24回というエヴェレスト最多登頂記録を打ち立てています。また、シェルパ族は家父長制の色が濃いため、女性の登頂者は40人に満たないようですが、ラクパ・シェルパは9回の女性最多登頂記録を持っています。
かつては、各国のナショナル・チームが、国の威信をかけて登頂に挑みました。そこでは、シェルパは、頼れるパートナーとして存在していました。しかし、空港やヘリ・ポートはじめ、登山環境が整備されると、有象無象のアマチュア・チームがエヴェレストに押し寄せます。シェルパの扱いも、金で雇われた単なる現地労働者へと変わっていきました。いかに登山環境が良くなったとは言え、エヴェレストが危険な山であることに変わりはありません。経験豊かなシェルパをパートナーとして認めない限り、皆の命がリスクにさらされます。
2014年、シェルパ13人死亡、3人行方不明という大事故が起こります。シェルパの怒りは頂点に達し、ストライキが行われました。結果、シェルパの位置づけや保障は改善されています。そして、単なるポーターではなく、山のプロとしてのシェルパ族の民族意識も大いに高まります。K2冬季登頂は、シェルパのプライドをかけた戦いだったのでしょう。シェルパにとっては、独立を勝ち得たのと同等の意味を持つ勝利だったのだと考えます。(写真出典:ja.wikipedia.org)