まだ幼かった子供たちを連れて神田の藪そばへ行くと、美味しいと言って、せいろうを何枚も食べるのです。子供も、美味しいものは分かるんだ、と感心しました。決してお安い代物ではなので、予想外の出費にはなりましたが。
NYにいた頃、同じようなことがありました。観光客でごった返すメトロポリタン美術館と違い、NY近代美術館はゆったりと楽しめます。やはり幼かった子供たちを連れていき、各展示室で、一番好きな絵を見つけなさい、と言うと、具象画、抽象画に関わらず、決まって評価の高い有名な絵を選ぶのです。例えば、ジャクソン・ポロックの絵は、私にとって皆同じように見えるのですが、「One」を選ぶわけです。いい絵は子供でも分かる、ないしは子供が面白いと思った絵こそ本当にいい絵かも知れません。
子供たちのチョイスのなかに、アンリ・マティスの切り絵は、必ず入ります。シンプルで分かりやすい線と色は、誰の目にも優しく、しっくりと入るということなのでしょう。私の好きな画家は、ラファエロ、ベラスケス、マティス。なかでもマティスは格別です。よく色彩の魔術師と言われます。確かに明るい独特の色彩は魅力的ですが、同様にプリミティブな線が与える安心感も大きな魅力です。マティスは、線と色の魔術師というべきでしょうね。
マティスは、ギュスターブ・モローに師事しています。パリのモロー美術館は、彼の自宅兼アトリエ。私のお気に入りの美術館ですが、ここでマティスが学んでいたのか、と思うと感慨もひとしおです。マティスは、フォビズムの作家として世に出ましたが、3年ほどで作風は変わっていきました。マティスらしさは、彼の「私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」という有名な言葉に集約されているのでしょう。
ただ、その言葉には欠けているものがあります。肘掛け椅子から見えるものです。自然の明るい色彩の世界です。肘掛け椅子の癒しに対して、色彩は華やかさです。癒しは安全に通じ、華やかさは自由を思わせます。マティスが近代絵画の頂点に立つのは、マティスの絵に近代人が求める安全と自由が表れているからかも知れません。(マティス「大きな赤い室内」 出典:amazo.co.jp)