2020年9月16日水曜日

ワイルド・ウェスト

アメリカは、植民地から独立したこともあり、当初、帝国主義や植民地には反対の立場をとっていたようです。ただ、産業革命とともに、海外領土の獲得に動いていきます。ロシアから購入したアラスカを別とすれば、19世紀末、ハワイの準州化、米西戦争によるフィリッピンやプエルトリコ等の獲得等から本格化します。ただ、実態的には、第一次産業革命で工業生産力を高めた北部の産業資本が、南北戦争では南部を、インディアン戦争では西部を植民地化したと言えるのではないかと思います。

南北戦争後、南部を軍事支配した北部は、リコンストラクション政策によって、穏健に南部諸州の合衆国復帰を図ります。ただ、北部工業の労働力確保という観点から黒人奴隷の解放には力を入れますが、結果、完全な姿での解放はできませんでした。戦後処理として、大問題だったのは、戦時に高い戦闘能力を示した南軍兵士の扱いです。そこで行われた政策が、西部開拓への投入でした。これがワイルド・ウェストを生む一因となります。

南北戦争が終わると、西武開拓は、カリフォルニアのゴールド・ラッシュもあり、鉄道敷設もあり、加速していきます。それは、とりもなおさずインディアン戦争の激化でもありました。政府の管理が及ばない辺境は無法地帯であり、開拓民たちは、インディアンとの戦い、牧場主と農民の土地や水を巡る争い、南軍くずれの盗賊の群れとの戦い等に直面し、そこはガンマン活躍の場となります。

1893年にはフロンティアの終わりが宣言されます。人口密度に基づく判断ですが、恐慌、あるいはジャクソン郡戦争にともなう連邦政府の管理拡大も背景にあるのでしょう。西部劇の設定に多用されるジャクソン郡戦争は、牧場主たちが雇ったガンマンが、入植者たちを虐殺した事件です。連保伊政府が介入し、ここでワイルド・ウェストは終ったと言われます。

ワイルド・ウェストと呼ばれた期間は、わずかに20~30年。にもかかわらず有名ガンマンたちがひしめく理由は、産業革命によって、紙が安くなり、印刷機械が進化し、新聞が大量に発行されたからです。ガンマンたちのストーリーは、誇張され人気の記事になります。例えばビリー・ザ・キッドは、21歳で射殺されるまでに21人を殺したと言われますが、実際に自ら殺したのは4人でした。(写真出典:ja.wikipedia.org)
ビリー・ザ・キッド

マクア渓谷