2020年8月19日水曜日

花旦(ホアタン)

昨年、梅蘭芳(メイ・ランファン)来日100周年を記念して、現代の梅派を代表する女優、史依弘(シー・イーホン)の公演が行われました。史依弘は、上海に自身の名前を冠する劇場を持つほどの大女優。極めて貴重な公演なので、演目の異なる2夜の公演とも行き、その見事な唄、踊り、演技を堪能しました。特に梅蘭芳の十八番でもあった「貴妃酔酒」にはしびれました。

梅蘭芳は、1894年、北京の京劇の名家に生まれます。四大名旦の一人とされる大俳優です。旦は、女形を指し、烈女・貞女役の青衣、華やかな娘役の花旦、老女役の老旦、女武人役の武旦の4つから成ります。青旦と花旦をまとめて青衫と呼び、代表的俳優が梅蘭芳です。梅蘭芳は、単なる名優にとどまりません。京劇の近代化を実現し、京劇を世界に紹介した人でもありました。

1919年に初来日。帝劇で行われた日本初の京劇公演は大成功となり、時の総理原敬はじめ著名人が押し寄せたと言います。その際、歌舞伎界とも交流し、伝統的芸能に近代的要素が取り込まれていることに刺激を受け、京劇の近代化に努めたと言われます。また、24年には、再度来日し、関東大震災のチャリティー公演も行っています。30年には米国公演を行います。歌舞伎を有する日本ならいざ知らず、西洋社会で京劇が受け入れられるか、大きな賭けだったようですが、日に日にカーネギー・ホールは観客で埋め尽くされていき、結果、大成功をおさめます。NYタイムスは、「世界が彼に恋をした」という有名な言葉を掲載します。

37年、日中戦争が勃発すると、梅蘭芳は、上海に避難し、抗日に徹します。上海で、日本軍から厚遇を条件に公演することを求められますが、徹底的に拒否。女形として演技できなように、ひげを生やし、強い酒で喉を焼くことまでします。中国人の土地に侵略することはできても、中国人の心まで奪うことはできない、という趣旨一貫した行動が、不世出の大芸術家の真骨頂を伝えます。

59年に中華人民共和国が建国された後、梅蘭芳は、毛沢東と会います。その際、毛沢東は「あなたは私より有名だ」と言ったとされます。かつての抗日闘士に対する、毛沢東なりの敬意の表明だったのでしょう。
写真出典:zhuanian.zhifu.com

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