2020年7月12日日曜日

茶碗に手を出すな

「茶碗に手を出すな」は、我が家に伝わる家訓です。書画骨董の類は、すべて同じでしょうが、ことに陶芸は、好きになると、おおむね病膏肓(こうもう)に入るもののようです。気にいったお手頃な品を買っているうちに、目が肥え、いいものが欲しくなる。すると、さらに目が高くなり、より高価なものに手を出す、というわけです。茶碗の魅力は、書画のそれとは明らかに異なります。道具としての親しみ、手にとる土の実感、人間の技と自然が生み出す偶然性。他では得られない魅力があるのでしょう。

北大路魯山人
川喜多半泥子
「東の魯山人、西の半泥子」とは昭和を代表する二人の陶芸家。二人とも、別な世界で名をあげた後に作陶を始めています。北大路魯山人は、書家として名を成し、美食家としても知られていました。魯山人は食の世界から陶芸の道へと進みます。半泥子こと川喜多久太夫政令は、豪商の末裔にして、百五銀行のオーナー頭取でした、多芸だったようですが、作陶は50歳を過ぎてから取り組みました。

名家に生まれた名工も多い中、なぜこの二人の名前があがるのか、その理由がここにあると思います。二人以前の陶芸は、狭い世界で成立していました。二人は、より広い世界から茶碗の魅力を見出し、広い世界へとその魅力を解き放ったと言えるのでしょう。魯山人は、食文化と陶器を融合させ、陶芸をより身近なものへと変えていきました。半泥子は、肩の力を抜いた、人間味あふれる作風で知られます。陶芸をより親しみの持てるものへと変えたのだと思います。

二人の共通点が他にもあります。半泥子は、生後間もなく、祖父と父を失い、まだ若かった母親は実家に帰され、祖母の手で育てられます。魯山人の父は、京都に代々続く神職の跡取りでしたが、魯山人が妻の不貞の子と知り、自殺します。魯山人は、6歳で木版師の養子に出されました。境遇は違えども、両親の愛情を知らずに育った二人が、壮年になって作陶にのめり込む。二人には、土の暖かさが必要だったのかも知れません。
魯山人写真出典:wagen-memo-jugem      半泥子写真出典:chitose.co.jp

マクア渓谷