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北大路魯山人 |
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川喜多半泥子 |
名家に生まれた名工も多い中、なぜこの二人の名前があがるのか、その理由がここにあると思います。二人以前の陶芸は、狭い世界で成立していました。二人は、より広い世界から茶碗の魅力を見出し、広い世界へとその魅力を解き放ったと言えるのでしょう。魯山人は、食文化と陶器を融合させ、陶芸をより身近なものへと変えていきました。半泥子は、肩の力を抜いた、人間味あふれる作風で知られます。陶芸をより親しみの持てるものへと変えたのだと思います。
二人の共通点が他にもあります。半泥子は、生後間もなく、祖父と父を失い、まだ若かった母親は実家に帰され、祖母の手で育てられます。魯山人の父は、京都に代々続く神職の跡取りでしたが、魯山人が妻の不貞の子と知り、自殺します。魯山人は、6歳で木版師の養子に出されました。境遇は違えども、両親の愛情を知らずに育った二人が、壮年になって作陶にのめり込む。二人には、土の暖かさが必要だったのかも知れません。
魯山人写真出典:wagen-memo-jugem 半泥子写真出典:chitose.co.jp