2020年5月14日木曜日

不良外人とピッツア

明治7年、フランスから来日した曲馬団のイタリア人コックが、新潟で大けがをし、置き去りにされます。曲馬団の下働きをしていた地元女性がよく世話をし、その話を聞きつけた新潟県令が資金を提供し、二人に牛鍋屋を開かせます。男はピエトロ・ミリオーレ、女はおすい。二人は結婚し、店も繁盛しますが、新潟大火で全焼。その跡地に、夫婦は洋館を建て、イタリア料理店として再出発します。日本初の洋食店にして、日本初のイタリア料理店「新潟イタリア軒」の縁起です。

イタリア軒で、当時のメニューにピッツアはあったのか聞くと、記録にないとのこと。それもそのはず、現在の形のピッツアは18世紀のナポリで誕生します。ミリオーレは北部トリノの生まれ。彼にとってピッツアは未知の食べ物だったわけです。では、日本にピッツアを持ち込んだのは誰かとなると、第二次大戦中、来日したイタリア兵が神戸で開いた店が出していたという説、戦後、宝塚でシチリア人が開いた「アベーラ」が最初という説など諸説あります。

ただ、日本初のピッツェリアなら、文句なしに六本木の「ニコラス」となります。伝説の不良外人ニック・ザペッティが、昭和31年に開業しました。NY出身のマフィアであるザペッティは進駐軍として来日、戦後の混乱が商売になると見込み、ありとあらゆる闇商売に手を出します。かなり荒稼ぎしたザペッティは、戦後の東京を裏で回した大物の一人でもあります。そのザペッティが、故郷の味が忘れられずオープンしたのがニコラス。ゴーダ・チーズたっぷりのNYスタイルのピッツアが売りだったそうです(六本木「ニコラス」は2018年閉店)

ニコラスは、夜な夜な、有名人と悪人でごった返していたようです。その熱気は、ロバート・ホワイティングの傑作ノンフィクション「東京アンダーワールド」に詳しいところです。ホワイティングは、ザペッティに長時間のインタビューを行い、混乱期の東京の闇に暗躍する政財界人、やくざ、芸能人、スポーツ選手等を生き生きと描いています。力道山も、その一人。力道山は、北朝鮮生まれ。日本で角界入りし、その後プロレスを立ち上げます。リングで白人を倒す姿に、敗戦国日本の国民皆が熱狂しました。赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」でやくざに刺殺される最後まで含めて、日本の戦後を象徴する人だったと言えます。

混乱期をうまく立ち回り、後に大物となった人たちもいますが、ごく少数です。混乱期に、水を得た魚のごとく活躍する若者の多くは、混乱の収束とともに消えていきます。荒稼ぎしたザペッティでしたが、お金が消えるのも早かったようです。ニコラスも人出に渡り、晩年のザペッティは、3番目の妻と横田に開いたニコラス、後の「ニコラ」の親父として過ごします。今もニコラは、NYスタイルの味を守り続けていると聞きます。
                                                                                                               ニック・ザペッティ  出典:Pizza Nicola

マクア渓谷