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| 金時山山頂 |
金時山と言えば金太郎、後の坂田金時が生まれ育った地として有名です。土地の彫物師の娘・八重桐は、京にのぼったおり、宮中に仕える坂田蔵人と結ばれ身ごもります。八重桐は故郷で金太郎を産みますが、坂田蔵人が亡くなったため、京へは戻らず、故郷で金太郎を育てます。大柄で元気に育った金太郎は、足柄峠を通りかかった源頼光に見出され、後に頼光四天王の一人になります。頼光四天王とは渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武を指し、源頼光に従って、酒呑童子等を退治したことで知られます。しかし、坂田金時の実在性は確認されていません。文献上の初出は、頼光の時代から100年後の「今昔物語集」とされています。金時の幼少期である金太郎の伝説は、江戸初期に登場し、大ヒットした金平浄瑠璃によって広まっていったようです。
今昔物語集は、平安末期、11世紀から12世紀初頭の作品と推定されています。作者も正式名称も不明ですが、各物語が「今は昔」で始まることから今昔物語集と呼ばれています。天竺(インド)部、震旦(中国)部、本朝仏法部とに分類された仏教説話が中心ですが、本朝世俗部では頼光と酒呑童子のような話が取り上げられています。とは言え、世俗部の話も、仏教説話的であることが特徴と言えます。今昔物語集は、大衆に分かりやすく仏教を説くために僧侶が著わしたものだったのでしょう。芥川龍之介の代表作とも言える「羅生門」、「鼻」、「藪の中」といった短編は、今昔物語集を原典としています。また、芥川作品を原作とする黒澤明の映画「羅生門」(1950)は、ヴェネツィアの金獅子賞に輝き、アカデミー賞でも現在の国際長編映画賞を獲得しました。
金太郎伝説を知らしめた金平浄瑠璃とは、頼光と四天王の子供たちの活躍を描く浄瑠璃です。親たちの知名度を利用しながら、荒唐無稽な話を展開できるという実に巧みなフレームです。四天王の子供たちのなかでも金時の子である金平(きんぴら)が大人気となり、金平浄瑠璃と呼ばれることになりました。実は、家庭料理の定番きんぴらごぼうの名前の由来は、この坂田金平にあります。江戸期、金太郎の母は山姥、父は赤い龍や雷神といった展開も見られるようになります。山姥は、日本の物語によく登場する妖怪です。多くは、山奥に住み、通りかかった人を食う、という設定になっています。ただ、一方では、豊穣や多産の象徴としても語られています。山の恐ろしさと恵みに精通し、里に有益な物品をもたらす山の民へのリスペクトでもあったのでしょう。
金時山は、登山初心者向けの山としても人気があります。いくつかの登山ルートがありますが、おおむね3時間で往復できるようです。山頂付近は見晴らしが良く、富士山もきれいに見えるとのこと。登山ブームもあってか、年々、登山者が増えているように思います。今年は、全国どこでも熊の出没が増えており、金太郎が熊と相撲を取って遊んでいた山でも目撃情報があるようです。金時山周辺は、丹沢山地のツキノワグマ生息地とされています。麓の仙石原は車の通りが多く、山には登山者も多いわけですが、最近の熊は人を恐れていないように思います。登山には、十分な注意が必要であり、熊鈴は必須アイテムと言えますが、完璧を期すならマサカリをかついで登るべきなのだろうと思います。(写真出典:yamareco.com)
