監督:スティーブン・ソダーバーグ 2025年アメリカ
☆☆☆
20~30年前、ソダーバーグに勢いがあった頃には、喜んで観に行ったものですが、ここ10年くらいは、ほとんど観ていません。とは言え、ソダーバーグのスパイ・スリラー、主演はケイト・ブランシェットとマイケル・ファスベンダーとくれば、やはり観に行かざるを得ません。さすがの出来映えでした。緊張感、テンポ、スマートな演出、やはり腕の立つ監督であることは間違いありません。しかし、興行的には大コケしています。そこがソダーバーグという監督の本質を端的に現わしているように思います。つまり、上手い映画だと思っても、後には何も残らないのです。結果、上質ではあるものの、単なる暇つぶし映画といった印象になります。デビッド・コープの脚本は良く出来てると思います。コープは、ジュラシック・パーク、ミッション・インポッシブル、インディ・ジョーンズ、スパイダーマンなどの大ヒットを放ってきた大人気脚本家です。本作では、複雑なプロットが、ほぼ会話だけで展開していきます。会話劇といえば、「探偵スルース」(1972)を思い起こします。監督はジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、出演者はほぼサー・ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインだけ、長尺ながら緊張感が続く傑作でした。本作は、スルースほど徹底した会話劇ではありません。ソダーバーグの巧みなカットや主演の二人によるさすがの演技によって上質な映画に仕上がってはいるものの、中途半端な会話劇であることが、映画的パースペクティブを失わせていると思います。
恐らく、夫婦の絆が主題だったのだろうと想像します。しかし、会話だけで複雑なプロットを展開する必要からか、そのテーマは埋没気味だったと言えます。加えて、主演の二人の使い方にも、多少、難があったように思います。今回、ケイト・ブランシェットは金髪ではありません。いつもなら、金髪で謎めいた表情を見せる彼女の存在感はえげつないほどです。本作の地味な出立は、役柄上必要だったと理解しますが、彼女の魅力や演技を活かしきれていない印象を受けます。マイケル・ファスベンダーは、さすがの存在感を見せていますが、陰影の深さは感じられませんでした。ソダーバーグは、二人の存在感を前提に、あえて抑え気味の演技をさせたのでしょう。ねらいはよく理解できますが、やや不発気味であり、もったいないな、と思いました。
映画の制作技術においては、当代有数の達人と言えるソダーバーグですが、才に走る傾向が強いように思います。ソダーバーグは、その長いキャリアのなかで、2度の休止期間がありました。先進的で、おしゃれで、スマートなソダーバーグの映画は高く評価されてきたわけですが、本人にとっては、それがプレッシャーだったのかもしれません。高い技術力を使って何を表現するかが大事であることは、本人が一番よく知っているものと思います。とは言え、斬新な映画に対する周囲の期待が、彼の背中にのしかかっていたのでしょう。思い起こすのは日本の家電メーカーの衰退です。かつて、世界を征した日本の家電は、高スペックにこだわりすぎて、世界市場を失ったとも言われます。品質が高いものは必ず売れる、というのがものづくり日本を支える神話でした。しかし、顧客が求めているものは、高スペックではなく実用性だったわけです。
デビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」(1989)でカンヌのパルムドールを最年少受賞、「トラフィック」(2000)でアカデミー監督賞を獲り、オーシャンズ・シリーズで大ヒットを飛ばし、他にも多くの話題作を送り出してきたソダーバーグは、巨匠と呼ぶべき監督なのでしょう。しかし、まだ62歳。彼が立ち返るべき原点があるとすれば、トラフィックとオーシャンズだと思えてなりません。(写真出典:eiga.com)
