2025年9月4日木曜日

ノルウェー人と津波

ノルウェーで製作されたNetflixのシリーズ「ラ・パルマ」が人気だというので見たところ、ハマってしまい、一気見しました。バケーションでカナリア諸島のラ・パルマ島を訪れていたノルウェー人家族が、津波に遭遇するという設定です。作品としての完成度は低いのですが、それなりに考えられたプロットが楽しめました。ラ・パルマ島の火山が噴火し、崩壊した山体が海に滑り落ち、津波が発生するという想定ですが、まったくのフィクションというわけでもなく、そのリスクの存在は科学的に証明され、広く知られているようです。そうでなければ、観光に打撃を与えかねない映画のロケを、スペイン政府が許可するわけもないと思います。

スペイン領カナリア諸島は、モロッコの西の大西洋上に位置する火山島群です。北ヨーロッパの人たちがバケーシションで押し寄せる島としても有名です。ロンドンの駐在員をしていた友人は、毎年、クリスマス・バケーションをカナリア諸島で家族と過ごしていました。ヨーロッパ中に見るべき所が多くあるのに、なんでそんな辺境まで行くのかと聞くと、一言、太陽だ、と言っていました。ロンドン以上に、陽の光を必要とするノルウェーの人たちにもなじみ深い島なのでしょう。そのラ・パルマ島で、2021年、クンブレ・ビエハ火山が噴火し、多くの住居や農地が失われました。記憶に新しい大災害です。クンブレ・ビエハ火山は、将来の噴火によって山体崩壊を起こす可能性があり、発生する巨大津波は大西洋沿岸全域に大打撃を与えると想定されています。

ノルウェーは地震国ではありませんが、津波には感心の高い国です。フィヨルドで、周囲の山が海に崩れ落ちると、入江の奥は巨大な津波に襲われることになります。実際、希に発生するらしいのですが、それをテーマとした映画「ザ・ウェイブ」は、2015年、ノルウェー最大のヒット作となりました。また、近年、ノルウェーの人々が津波に敏感になっている理由が他にもあります。2023年、グリーンランドで、巨大な氷河の崩落が起き、津波の遡上高は200mに達したとされます。その津波は、対岸のノルウェーにも到達しました。氷河崩落の原因は、地震ではなく、地球温暖化の影響とされています。ノルウェーは、新たな津波の脅威にされているわけです。ノルウェー人が恐れる崩落による津波と、我々が知っている地震による津波とでは、大きな違いがあります。

プレート型地震の場合、海底の隆起とともに海面が上昇して津波が発生します。山体や氷塊の崩落による津波は、海面が受けた衝撃で発生します。巨大な水しぶきとも言えます。波高は、地震の場合よりも高くなる可能性があります。津波の波高として観測史上最大とされるのが、1958年、アラスカのリツヤ湾で起きた津波です。地震によって発生した山体崩落が起こした津波の高さは、524mに達したと推定されています。リツヤ湾が狭いフィヨルドであったことが波高の高さにつながったのでしょう。私たちが知っている津波は、第一波の前に水が引いたり、第二波、第三波の方が波高が高くなります。「ラ・パルマ」では第二波は無視されています。水しぶき型では、第一波が最も高くなるであろうことは、池に石を放った際の波紋からも想像できます。

ただし、フィヨルドで起きる津波は、両側の山に跳ね返って何度も繰り返され、場合によっては第一波よりも跳ね返り波の方が高くなることも考えられます。今回の想定は、洋上での水しぶきなので、第二波は無視できると考えたのでしょう。あるいは、プロット上の必要性から無視したのかもしれません。プロット上と言えば、デザスター映画でお馴染みのパターンの一つは、混乱を恐れて行政の対応が遅れることです。今回も同じなのですが、実際には、数値基準が設定され、各段階でのアクションが規定されているものと考えます。いかに娯楽作品とはいえ、ちょっとスペイン政府に失礼かなと思いました。「ラ・パルマ」のヒットは結構ですが、それで観光客が減るなら、スペイン政府にとっては津波級の大打撃です。あるいは、オーバーツーリズム対策として、それをねらっているのかもしれません。(写真出典:filmarks.com)

2025年9月2日火曜日

汎アジア主義

頭山満
大東亜共栄圏は、1940年、日本が打ち出したアジアの同盟構想です。欧米支配からアジアを解放し、共存共栄の新たな秩序を築くという理想を掲げました。しかし、真のねらいは、日本が南方資源を確保することであり、日本を盟主としたアジア経済圏を作ることでした。20世紀の2度に渡る世界大戦は、植民地拡大を図ろうとする後発帝国主義国が、先行する帝国主義国の圧迫を受け、戦争に至ったものだと考えます。日本の大東亜共栄圏構想は、ナチスドイツが打ち出した「生存圏」を参考にしていたようです。欺瞞に満ちた大東亜共栄圏構想ですが、その思想的背景には、尊皇攘夷、あるいは汎アジア主義があったと言われます。

水戸学に始まる尊皇攘夷という思想は、単に天皇を尊び,外国人を排斥するということに留まらず、天皇を世界の頂点とする日本版中華思想と言えます。後に「八紘一宇」という言葉も登場します。天皇のもとに世界を一つの家として平和に暮らすという意味です。尊皇攘夷的には、各国との通商条約は認められても、対等な関係である友好条約など頭が高いということになります。桜田門外の変の原因は、幕府が勅許を得ずに五ヶ国と修好通商条約を締結したことですが、友好条約そのものへの批判もありました。尊皇攘夷を巧みに利用した薩長は倒幕を果たしますが、新政府樹立とともに、一転、海外との友好政策を展開します。薩長政府は、西南の役で存続の危機に面します。その原因となった征韓論において、強硬派の背景にあった思想は、皮肉にも尊皇攘夷でした。

汎アジア主義は、19世紀後半、欧米列強によるアジアの植民地化が進むなか、アジア各国が連携して、これに対抗すべきという主張であり、明治維新後に盛んになりました。欧米から不平等条約を強いられた日本は、まだ植民地化のリスクを抱えていた時代でもあります。汎アジア主義には、様々な立場・意見があり、統一的な主張や組織があったわけではありません。アジア各国が対等に同盟すべきという意見、日本を盟主とする同盟を模索する国粋主義的な主張、あるいは、中国・朝鮮等の欧米につけ込まれやすい旧体制を、革命で倒して近代化を図ろうとする動きもありました。当初、汎アジア主義をリードしたのは、大久保利通に始まる興亜会でした。1880年に結成されています。興亜会は、清国・李氏朝鮮との対等な連携を目指すものでした。

一方、国粋主義的な汎アジア主義の代表と言えば、旧福岡藩士を中心に博多で結成された玄洋社となります。征韓論で敗れて下野した板垣退助に師事した頭山満が、1881年に結成した政治結社です。頭山満は、後に、政財界、軍部に大きな影響を持つことになり、右翼の巨頭とも呼ばれました。当初は、自由民権運動を展開しますが、議会設立後は、国権強化、汎アジア主義を掲げ、あたかも政治家・軍部の別働隊がごとく、国の内外でテロ行為やスパイ活動を展開します。大隈重信爆殺未遂事件の来島恒喜、日露戦争時、ロシアの後方攪乱に大きな成果を収めた明石元二郎も玄洋社社員です。また、孫文、金玉均、ビハーリー・ボースら、アジアの独立運動家の支援もしています。敗戦後には、GHQからテロ組織との認定を受け、解散させられています。

国粋主義的な政治結社は、今も存在します。ただ、戦前とは異なり、政財界と結び、派手に活動するということはありません。その違いは、なぜ生じたのでしょうか。もちろん、戦前は帝国主義・軍国主義を進める政治的状況があったということであり、戦後は民主化に伴い法的規制が強化されたということにはなります。加えて、明治憲法下における政治、行政、軍部の組織のあり方も背景として大きかったのではないかと思われます。戦前の国家体制は、組織としては権限が全て天皇に集中する親政体制を取りつつ、天皇親政が形骸化していたことが特徴だと考えます。いわば独裁者なき独裁体制と言えます。そこでは権力の分散が起こり、長期的、国際的観点を踏まえた計画的、統一的な国家運営などは存在せず、各派の力の論理がまかり通る体制になっていたものと思われます。まさに、政治結社が権力体制に入り込みやすい体制だったと言えるのでしょう。(写真出典:yomiuri.co.jp)

ノルウェー人と津波