日本のミネラル・ウォーターの歴史は、1884年発売の炭酸水「鉱泉平野水」に始まるとされます。英国人科学者が、兵庫県平野の鉱泉が飲料に適していることを発見し、宮内省が炭酸水の御料工場を立ち上げます。払下げを受けた三菱が日本初の炭酸飲料として発売、それを引き継いだ明治屋が1885年に「三ツ矢印平野水」として売り出しています。三矢サイダーの始まりです。ちなみに、三ツ矢とは、源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた多田に城を構えたという伝承に由来します。多田も平野も現在の川西市にあります。ノンガスのミネラル・ウォーターは、1929年、富士急の堀内良平が、身延で湧出する水を「日本ヱビアン」として発売したのが始まりのようです。現在も富士ミネラルウォーターとして販売されています。
ミネラル・ウォーターの一般化は、1970年代に始まっています。日本のウィスキー・メーカーが売上を伸ばすために、和食にも合うとして”水割り”のキャンペーンを開始します。それまで、ウィスキーと言えば、その深い味わいを楽しむためにオン・ザ・ロックで飲むことが当然とされていました。今までも、ウィスキーの水割りはどこか邪道感が残っています。いずれにしても、水割りはキャンペーンの効果によって普及していきました。ただ、そこで問題となったのは、当時の水道水の品質の悪さです。要は、カルキ臭が強く、美味しくなかったわけです。そこでウィスキー・メーカーは、ミネラル・ウォーターの販売を開始することになりました。ただし、あくまでも業務用であり、一般家庭向けではありませんでした。
一般家庭向けミネラル・ウォーターは、1983年に発売されたハウス食品の「六甲のおいしい水」(現在はアサヒ飲料)に始まります。カレー・ルーを販売するハウスが、カレーに合う水として発売しています。いつの頃からか、日本では、カレー・ライスと言えばコップに入った水が付き物でした。恐らく、カレーは辛い、辛いものには水というイメージがそうさせたのだと思います。実際には、辛いものを食べて水を飲むと辛さが口中に広がるだけなのですが。かつて、大衆食堂等でカレー・ライスを注文すると、スプーンが水のコップに入れられて出てきたものです。スプーンがコップに入っていない場合でも、一度、水につけてから使うおじさんたちが多かったように記憶します。ところが、口が肥えてくると、ここでもカルキ臭い水道水が問題とされたわけです。
猛暑や水質問題等を背景に、ミネラル・ウォーターは順調に普及していきます。1996年、環境問題から禁止されていた500mlのペットボトルでの飲料販売が解禁されます。これが市場の急拡大の大きな契機になりました。1980年代以降、急拡大していた飲料の自動販売機も追い風となります。当時、飲料メーカーに聞いた話ですが、売上は自販機の設置台数に応じるとまで言っていました。激しい競争の結果、至る所に自販機が設置されていたものです。ただ、世界最大の自販機大国とも言われる日本ですが、2000年をピークに台数は大幅に減少しています。そもそも設置台数が過剰だったことに加え、少子化の影響が大きいとされます。ただ、その後も、ミネラル・ウォーターの売上は、災害対策としての備蓄、猛暑の際の熱中症対策などを背景に伸び続けています。(写真出典:asahiinryo.co.jp)