Netflix製作のスペイン映画「ヴュ-ダ・ネグロ」 (原題:La viuda negra、英題:A Widow's Game)を観ました。2017年、バレンシアで発生した事件をほぼ忠実に再現した映画です。俳優たちはなかなかの熱演でしたが、脚本が残念な出来であり、映画としては評価できるような代物ではありませんでした。それでも実際に起きた事件が興味深いものだったので、飽きずに観ました。宗教的に厳格な家庭に育ったマへは、性的に奔放な女性になります。男性関係を隠して結婚したマへは、夫に浮気がバレ、浮気相手の一人である真面目な中年男をそそのかして、夫を殺害します。手がかりの薄い事件でしたが、バレンシア警察は盗聴によって事件をあばき、二人を逮捕します。マへの嘘で固めた人生が興味深く、主演女優の演技も見事でした。
原題は、スペイン語で黒い蜘蛛を意味します。内容にピッタリ合ういいタイトルだと思います。ただ、19世紀にイェレミアス・ゴットヘルフが書いた小説「黒い蜘蛛」があるので、止むなくこの邦題や英題が決まったのでしょう。映画を観ていて、思い出したのが”毒婦”という言葉です。毒婦と言えば高橋お伝、高橋お伝と言えば毒婦ですが、若い人たちはまったく知らないと思います。高橋お伝が殺人を犯したのは明治初期のことです。読み物まがいの新聞報道が過熱し、仮名垣魯文の小説はじめ、歌舞伎、浪曲のテーマとなり、映画も幾本か撮られています。私ですら名前を知っているくらいですから、百年経っても有名だったわけです。ただ、名前は知っていても、有名になった背景までは考えたこともありませんでした。
高橋お伝は、群馬県みなかみ町の生まれ。同郷の者と結婚し、ハンセン氏病を罹患した夫ともに横浜に出ます。ただ、看病の甲斐もなく夫は病死、以降、新富町で男と同棲します。お伝には借金があり、その返済を迫られます。知人の古着屋に用立てを頼むと、一晩付き合ってくれたら、貸さぬでもない、と言われます。背に腹は代えられないお伝は一夜を共にしますが、古着屋は金を出そうとしません。怒ったお伝は古着屋を殺害し、金を奪います。現場には、姉の仇を討ったという書き置きが残されていました。お伝は、ほどなく逮捕されますが、姉の仇を討った、古着屋が自殺したなどと虚偽の供述します。しかし、物的証拠によって犯行が明らかになり、1879年、斬首刑に処されています。ちなみに、斬首刑は、1882年まで行われていました。
もちろん、陰惨な事件ではありますが、世の中を騒がせ、後世まで語り伝えられるほどの事件とは思えません。大きな反響を呼ぶことになった最大の要因は、新聞の存在だったのではないかと思います。江戸期にも、木版のかわら版が人気を博していたわけですが、明治になると活版印刷機が導入され、1870年には、日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」が発刊されています。新聞は、ほどなく政治を論じる“大新聞”と娯楽を主とする”小新聞”に分化します。読売や朝日も小新聞の系譜と言えます。発刊まもない小新聞にとって、高橋お伝は、格好のネタとなったわけです。かわら版さながらの扇情的な記事が踊り、憶測も含めた報道がエスカレートしていったものと思われます。高橋お伝に関する報道は、今に続く日本のマスコミの本質を形成したと言えるかもしれません。
実態を超えて社会現象化した高橋お伝の事件ですが、マスコミが煽ったというだけでなく、庶民の心情に訴えるものもあったのではないかと思います。明治初期、新政府は近代化を急ぎますが、一方で、激変する社会に翻弄された庶民の戸惑いと気苦労は半端なかったと思います。読み物風の新聞記事は、いい憂さ晴らしになった面もあるのでしょう。そして、それ以上に、庶民は、お伝に我が身を見る思いがあったのではないかと思うのです。お伝は、毒婦として、多淫・多情・強欲と散々に批判されましたが、都市に流れ込み、都市に飲み込まれてしまった田舎者という庶民の典型でもあったわけです。加えて、庶民は、明治維新による混乱とストレスに翻弄される我が身を重ねていたのではないでしょうか。まるっきり他人事というわけでもなかったわけです。(写真出典:meiji.bakumatsu.org)