アルバム名:Chapter One: Latin America (1973) アーティスト:Gato Barbieri
アルゼンチン出身のテナー・サックス奏者ガトー・バルビエリは、1960年代、ローマやNYを拠点に、フリー・ジャズを演奏していました。ところが、1970年代に入ると、自らのルーツであるラテン音楽を取り入れた演奏スタイルに変わっていきます。彼の名前が世界中に知られるきっかけとなったのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の話題作「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(1972)の音楽を担当したことでした。メランコリックなタンゴであるテーマ曲は大ヒットし、グラミー賞も獲得しました。以降、ジャズ・ファンの多くは、彼をイージー・リスニング系のジャズ奏者と捉え、軽く見る傾向が生まれました。しかし、必ずしも、それだけではなかったように思います。いわゆるラテン・ジャズは、ほぼほぼアフロ・キューバン・ジャズを指します。キューバ発祥の強いリズムとコンガやボンゴといったパーカッションを使ったジャズです。ガトー・バルビエリの音楽は、タンゴやフォークロアをベースとしたジャズであり、まったくの別物です。アストル・ピアソラの”リベルタンゴ”は、タンゴではないタンゴとも呼ばれます。ガトー・バルビエリの場合、タンゴのリズムを用いていない場合でも、そのフリー・ジャズ的なブローのなかにメランコリックなタンゴ・テイストを感じます。やはり、タンゴではないタンゴといえるかもしれません。しかし、1970年代後半からは、明らかにポップな演奏へと変わっていきました。1976年には、カルロス・サンタナの”Europa”をカバーしてヒットさせています。
ガトー・バルビエリが選択したタンゴやフォークロア路線からすれば、ポップ化は当然の成り行きだったようにも思います。それだけに、1970年代前半のフリー・ジャズとアルゼンチン音楽の融合という試みは新鮮であり、貴重だったと思います。1971年にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで録音された「El Pampero」のなかの一曲「Mi Buenos Aires Querido(わが懐かしのブエノスアイレス)」は、その典型的演奏だったと思います。この曲は、1930年代にヒットしたスタンダードです。国外にいるアルゼンチン人がブエノスアイレスを懐かしむという曲ですが、NYで長くフリー・ジャズの活動をしていたガトー・バルビエリの心情、その後の音楽的指向を端的に表した演奏だったと思います。
ガトー・バルビエリは、ジョン・コルトレーンを崇拝し、追随していました。この頃のガトー・バルビエリの演奏は、コルトレーンの「クル・セ・ママ」の影響下にあったように思います。ラスト・タンゴ・イン・パリを経て、Chapter Oneにたどりつくと、クル・セ・ママを超えた独自の境地が展開されます。このアルバムがヒットした理由はそこにあると思います。もはやジャズではないとの批判もありました。確かにオーセンティックなモダン・ジャズとは大いにかけ離れていますが、ジャズの新しい地平線を見せてくれていたとは思うわけです。1972年には、チック・コリアが大ヒット作となった「リターン・トゥ・フォーエバー」をリリースしています。時代は、新天地を求めてフュージョンの世界に入っていたわけです。ガトー・バルビエリの音楽も、幅広に言えば、フュージョンの一種だったのでしょう。(写真出典:music.apple.com)