2025年7月14日月曜日

「罪人たち」

監督: ライアン・クーグラー     2025年アメリカ

☆☆☆☆

驚きました。やられたな、という感じです。どっちりとしたダイナミズムを感じさせる演出、計算された色彩の鮮やかな映像、しっかりと伝統を踏まえたアーシーなブルーズが、見事に融合しています。ホラーのフレームを持った骨太のメッセージ映画であり、デルタ・ミュージカルとでも呼びたくなるような新ジャンルでもあります。とにかく見たことのないような映画を見た思いがしました。ライアン・クーグラーは、今、最も注目される監督の一人だと思います。クーグラーは、大学でフットボールの奨学生として活躍した後、映画界の名門である南カリフォルニア大学映画芸術学部の修士課程へ進みます。そこで撮った短編は賞を獲りまくり、注目を集めることになります。

長編デビュー作となった「フルートベール駅で」(2013)は、低予算映画ながら、高い評価を得て、大ヒットします。クーグラーは弱冠28歳でした。2009年元旦、サンフランシスコのベイエリアの駅構内で、無実の黒人青年が警官に射殺される事件が起きます。殺された青年の事件までの24時間が、事実に基づき淡々と描かれていました。驚くべきことに、自然主義的な日常の描写のなかに、アメリカの人種差別問題を取り巻くの全ての要素が織り込まれていました。映画監督のデビュー作には、後にその監督が撮ることになる映画の全ての要素が含まれていると言ったのはフランソワ・トリフォーでした。差別問題に対する社会的視線こそが、クーグラーの原点なのだと思います。この作品の大ヒットを見たハリウッドは、早速、クーグラーを呼びます。

クーグラーは、ハリウッドで、ロッキーのスピンオフ「クリード チャンプを継ぐ男」(2015)、そしてマーベルの「ブランクパンサー」(2018)と「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」(2022)を撮り、いずれも大ヒットさせます。特にブラックパンサーは、記録的な大ヒットとなり、評論家の批評も極めて高いものでした。クーグラーは、若くして映画界のスーパー・スターに躍り出たわけです。とは言え、ハリウッドで撮った3本は、腕の良さは見せつけたものの、あくまでもお仕着せの仕事でした。本作は、クーグラーの制作会社プロキシミティ・メディアによって制作されています。クーグラーは、10年を経て、ようやく、原点に立ち戻って本作を撮ることができたわけです。しかし、ハリウッドの10年は無駄なものではありませんでした。

ハリウッドで身につけたテクニックやセンスが、彼の身上である社会的視点や骨太な映画という特色を、より一層際立たせることになったのだと思います。そして、何よりも、社会問題をストレートに突き詰めていくのではなく、エンターテイメントと融合させて、深い理解を広げていくというアプローチを得ることにつながったのでしょう。本作では、人種差別問題の根源が歴史的視点を踏まえて語られています。実に多くの要素が語られているのですが、それらをヴァンパイヤとブルーズという縦糸に織り込むことで、エンターテイメントとして成立させています。ことにブルーズに関しては、その発生の原点から現在の立ち位置までを、見事に網羅しています。ブルーズ・シンガーのバディ・ガイを役者として起用したアイデアも脱帽ものだと思います。

音楽を担当するのは、ブラックパンサーとオッペンハイマーでアカデミー作曲賞を受賞したルドウィグ・ゴランソンです。ゴランソンは、デルタとは無縁のスウェーデン人です。彼は、ロバート・ジョンソン等の古い録音をそのまま使うこともできたはずです。ところが、多くのブルーズ・プレイヤーを集め、デルタ・ブルーズを再構築しています。それは、人種差別の歴史をブルーズに託して表現するという本作の試みに添うものだったと思います。結果、実に魅力的で深みのあるブルーズが奏でられています。ブルーズと並ぶもう一方のモティーフがヴァンパイアです。タイトルの罪人たちとはヴァンパイアを指しているように思えますが、事はそれほど単純ではありません。クーグラーは、差別者としての白人ではなく、アメリカの政治や社会が持つ保守性、さらには昨今の右傾化を”罪人たち”と言っているように思いました。本作のメッセージの深さはそこにあります。(写真出典:warnerbros.co.jp)

「罪人たち」