2025年5月13日火曜日

「新世紀ロマンティクス」

監督:ジャ・ジャンクー(賈樟柯)  原題:風流一代  2024年中国 

☆☆☆☆ー

本作は、中国社会の変貌と時代に翻弄された民衆を描いた散文詩だと思います。ほとんど台詞はなく、主に過去の映像と環境音をつなげて構成された映画はコラージュのようでもあります。それを見事にノスタルジックでメランコリックな一つの詩にまとめあげるあたりは、さすがジャ・ジャンクーだと思いますし、中国が生んだ詩の文化すら感じさせます。三峡ダムに沈み行く長江流域が舞台の一つであること、そして中国語の原題からか、蘇東坡(蘇軾)の「赤壁賦」を思い出しました。「赤壁賦」は、中国古典文学の金字塔とも言われます。漢詩に明るいわけではありません。ただ、毎日使うお気に入りのランチョン・マットが台北の故宮博物院で買った趙孟頫書の「赤壁賦」であり、それで思いついただけのことかもしれませんが。

中国第6世代の映画監督の一人であるジャ・ジャンクーは、これまで、変わりゆく中国と時代に翻弄される若者を描いてきました。それも、舞台としてきたのは、成長著しい沿岸部ではなく、取り残された内陸の地方都市でした。特にジャ・ジャンクー自身の故郷でもある山西省は幾度も描かれています。今回舞台となった山西省大同も何度か登場しています。また代表作「長江哀歌」の舞台となった三峡の奉節も登場します。未発表部分らしいのですが、本作では「長江哀歌」で撮ったフィルムも使われています。舞台設定からも分かるとおり、本作は、歳を重ねたジャ・ジャンクーが、これまでの中国社会の変化と自身が撮ってきた映画を振り返り、そのエッセンスを一つの詩に仕立てたような印象を受けます。

本作が、詩として成立している要素の一つは、配偶者でもあり、長くジャ・ジャンクー映画の主演を務めてきたチャオ・タオの存在です。本作では、台詞がなく、表情だけで演技するチャオ・タオが、映画を一つにまとめげていると思います。思えば、本作は、この夫婦がたどってきた映画人生の回顧展といった風情もあります。1970年生まれのジャ・ジャンクーは、まだ老け込むような歳ではありません。しかし、ジャ・ジャンクーは、この映画で、これまでの映画作りに一区切りつけようとしているかのようでもあります。改革開放後、そして天安門事件後、激しく変化してきた中国社会は、近年、成熟期に入ったかのようなところもあります。社会の変化とともに、ジャ・ジャンクー映画のテーマも変わっていくということなのかもしれません。

よく知られた赤壁の戦いは、3世紀初頭、三国時代に起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の戦いです。三国志演義のなかで最も有名な場面の一つでもあります。蘇東坡が「赤壁賦」を詠んだのは、それから800年後のことです。故事を思いつつ無常観に浸る友人に、蘇東坡は、自然は無尽蔵である、それを楽しめば良いと返します。ジャ・ジャンクーは、大衆を置き去りにしながら進む中国の経済成長に批判的だったわけですが、ここに至って、ある思いを持つようになったのではないでしょうか。それは、犠牲も多く出た社会の激変だったが、結果、人は変わっていない、人は生き残ったということなのではないかと思います。それは、ジャ・ジャンクーの思いというだけではなく、社会的な認識なのかもしれません。中国第7世代の監督たちが得意とする詩的な表現にも、そのような社会の変化を感じます。ジャ・ジャンクーは、「赤壁賦」で言えば、友人の無常観から蘇東坡の達観へと軸足が移っているのかもしれません。(写真出典:eiga.com)

2025年5月11日日曜日

命に別状なし

TVニュースを見ていると、毎日のように「命に別状はありません」という言葉を聞きます。意味するところも分かりますし、耳慣れてもいるのですが、どこか違和感を感じさせるものがあります。恐らく、別状という言葉が、日常では一切使われることがないからだと思います。マスコミは独特の言い回しをすることも多いのですが、一方で、TVニュースなどは可能な限り平易な言葉使いを心がけているものと考えます。ところが、TVニュース以外で、別状という言葉を聞くことはありません。別状とは、いつもとは異なる状況という意味ですから、例えば「命に異常はありません」、あるいは「命に危険はありません」と言えば済むのではないかとも思います。ところが、おしなべて「命に別状はありません」と言うわけです。

さらに言えば、「重傷ですが命に別状はありません」なら分かるのですが、「軽傷で命に別状はありません」とも言うわけです。軽傷なら、わざわざ命うんぬんと言う必要はないと思うのです。マスコミに関わる人たちは、言葉のプロなのだと思います。プロが、あえて「別状」を使いまくるには何か理由があるに違いない、と思って調べてみたのですが、さっぱり分かりませんでした。また、TVのテロップでは”別条”と記載されることもあります。別状は異常な状態を表し、別条は異常な事柄を表すとされます。従って「命に別状はない」は正しい用法ですが、「別条」を使うことは間違いだと思います。この件に関しては、ネットにも多くの記載がありました。ちなみに、NHKでは「別条」を使うことはないようです。

いずれにしても、マスコミの「別状」好きの背景は分からなかったのですが、考えてみると、この言葉が多用されるのは、事故や事件の場合に限られています。事件や事故に関する一次的な報道は、警察発表に基づくことになります。マスコミは、警察が公表した内容を忠実に伝えるしかありません。ひょっとすると「命に別状なし」は、マスコミに独特な表現ではなく、警察用語なのかもしれません。官庁用語だとすれば、一般的ではない、古くて堅い言葉使いは十分に理解できます。警察が紋切り型に「命に別状なし。以上」と発表したとすれば、マスコミとしては、余計な修正や変更を加えずに、その言葉をそのまま伝えるしかないのでしょう。また、加工して報道すると、警察の信用を失う恐れがあるのかもしれません。

警察サイドにも、幅広く、曖昧な表現をするしかない事情もあるのだと思います。つまり、捜査上の必要性から、あるいはプライバシー保護の観点から、詳細を語ることが憚られる場合があるわけです。とすれば幅広な「命に別状なし」は、誠に便利な言葉だと言えます。幅広な分、TVの視聴者の受け止め方は千差万別ということになります。「命に別状なし」と聞いてケガの程度は軽いと思う人もいれば、わざわざ「命に別状なし」と言うくらいだから相当に深刻な状況なのではないかと思う人もいるわけです。正確な報道という観点からすれば問題なしとはしませんが、マスコミとしては如何ともしがたく、その苛立ちが、警察用語としての「命に別状なし」をそのまま伝えることに現れているのかもしれません。

また、仮にマスコミが詳細な情報を入手していたとしても、警察と同様な理由から、自主的に曖昧な「命に別状なし」という伝え方を選択する場合もあるのかもしれません。そこまで考えると、本当にニュースで「命に別状なし」という言葉を使う必要はあるのか、という疑問も沸いてきます。別状を使わず、軽傷、重傷といった表現で十分な場合が多いのではないかとも思います。それも警察次第なのでしょうが、お役所にありがちな前例踏襲という習性が立ちはだかっている可能性もあります。いずれにしても、警察もマスコミも、「命に別状なし」という特殊な表現については、再考してもいいのではないかと思うわけです。(写真出典:nhk.or.jp)

2025年5月9日金曜日

ドローン

ここ10~15年で、急速にドローンという言葉が広がったように思います。ドローンと言えば、まずは、4つのモーターと回転翼が付いた小型ヘリコプターのような代物、そして兵器として使われる無人機がイメージできます。ただ、その定義や区分については、結構、曖昧なところもあります。航空法上では、遠隔操作または自動操縦により飛行する無人航空機ということになります。ただし、100g未満のものは航空法対象外とされています。小さなものは趣味の範囲内ということなのでしょう。4つの回転翼を持つドローンは、クワッドローター、マルチコプターとも呼ばれるようですが、前から気になっていたのは、ヘリコプターとの違いです。

ヘリコプターの回転翼(ブレード)は、平面的に作られており、ローターと呼ばれます。対して、ドローンのブレードは、飛行機のプロペラや船のスクリューのように揚力を生むねじりが加えられており、プロペラと呼ばれます。ヘリコプターは、ローターのピッチ角と回転面の角度を変えることによって、上下・前後・左右への動きを、あるいはホバリングを可能にします。対してドローンの場合、プロペラの角度は固定されていますが、4つのモーターの回転数を、それぞれ独立的に変えることで自在な動きを生み出します。ドローンが4つ以上のモーターを必要する理由がここにあります。ヘリコプターは機械的技術の進化によって生み出され、ドローンはコンピュータによる制御や通信といった電子的技術の革新が生み出したと言えます。

無人機の歴史は、軍事用から始まっています。第二次大戦中には、無線による遠隔操作の研究が始まり、試作もされています。英国では、練習機をベースとして遠隔操縦による標的機クイーン・ビーが開発されています。しかし、技術的に問題が多く実用化には至っていません。戦後になると、軍用機のジェット化に伴い、ミサイルやレーダーの開発も盛んに行われます。同時に、テストで使われる無線誘導の標的機の開発も進むことになりました。この頃、米軍では、英軍のクイーン・ビー(女王蜂)に対抗して、これら無人機をドローン(オスの蜂)と呼び始めました。1951年には、ジェット推進の標的機ファイヤ・ビーが登場します。以降、このモデルが無人偵察機、無人攻撃機へと展開されていくことになります。

アフガニスタン紛争では、アメリカ国内の基地から遠隔操作されたドローンで、ゲリラを偵察・追跡し、かつ攻撃するという戦法が注目されました。また、ウクライナの戦場では、徘徊型兵器とも呼ばれる自爆型ドローンも多く投入されています。誘導ミサイルとは異なり、ターゲットを見つけるところから行うわけです。かつて、機銃を撃ち合った戦闘機のドッグファイトは、遠方からミサイルを打ち合う空中戦に変わりました。また、昨今では、遠隔操縦の無人爆撃機まで開発されているようです。このような変化を踏まえれば、もはや軍用機は、すべてドローン化されるのだろうと思います。一方で、ドローンの遠隔操作を行うパイロットは、精神面も含めた負荷が高いとも言われますが、操縦自体もAI化されていくのでしょう。

兵士の死傷率は改善するどころか、兵士そのものが不要になるのかもしれません。ただ、武力攻撃を判断する際のハードルが下がると、一般市民の犠牲が増える可能性もあります。また、ドローン化は、なにも空に限った話ではありません。自動操縦や遠隔操縦の自動車、電車、船舶まで開発され、一部は実用化されています。クワッドプロペラを用いた空飛ぶ車の販売も始まっています。遠くない将来、全ての移動体・飛行体が、AI搭載のドローンとなり、自動運転化されていくのでしょう。しかし、社会の標準として実装されるまでには、それなりに時間がかかるものと思われます。技術やインフラ整備の問題もありますが、倫理観の議論、その上に成り立つ法令の整備が簡単に進むとは思われないからです。(写真:米軍Global Hawk 出典:wired.jp)

2025年5月7日水曜日

カムイチェプ

カムイチェプノミ
アイヌ語で、鮭は「カムイチェプ(神の魚)」というようです。寒冷地での狩猟採取生活において、食糧の安定的な確保は簡単ではなかったはずです。一時期とは言え、確実に、しかも大量に川を遡上してくる鮭は、まさに恵みです。加工することで数ヶ月はその恩恵を受けることができ、かつ、皮も利用することができます。そのため、アイヌのコタン(集落)は、おおむね川のそばにあります。鮭は、恵みどころか、寒冷地で生存するための必須条件だったように思えます。とすれば、神の魚という表現も十分に理解できます。ただ、我々の感性で言えば、神の魚を安易に獲って食べることは畏れ多い、ということになります。これは、アイヌ語のカムイを、単純に”神”と訳すことで生じる混乱なのだと思います。

カムイは、日本語の神、あるいは唯一神を指す英語のGodとは大いに異なるわけです。日本的な八百万の神々は、山や川などに宿る目に見えない存在です。唯一神も天上にいる目に見えない存在です。つまり、神は、人間の上位にある擬人化された抽象的概念だと言えます。対して、カムイは、山や川そのものであり、人間と同等に実在する具体的存在だと説明されます。あるいは、山や川、人間が作った道具にも宿る魂のことだという言い方もあります。最も腑に落ちる説明は、アイヌの人々は、生きるうえで必要なものすべてをカムイとして、感謝の祈りを捧げる、というものです。私たちは、どうしても、自分たちが抱く神の概念に寄せてカムイを理解しようとするので、分かりにくくなってしまうのでしょう。

それは人間と自然の関係をどう捉えるかの違いだと言うこともできるのでしょう。人知を超える自然の営みは、人間を超えた誰かの意志によるものだ、と私たちの祖先は考えたはずです。それが、畏れをもって祈るべき対象としての神になったのでしょう。厳しい環境のなかで生活するアイヌにとっては、とりあえず生き延びることが最も重要であり、生きるうえで欠かせないもの全てにリスペクトと感謝を捧げたのではないかと思います。それがカムイになったのでしょう。そうした自然との向き合い方の違いは、農耕民と狩猟民との違いとして理解できます。農耕は人間が自然をコントロールしようとするものであり、狩猟は人間が自然の一部として共存をはかるものです。ここに大きな違いがあるのだと思います。

カムイチェプ(鮭)に関する興味深いアイヌ民話があります。「キツネのチャランケ」です。アイヌが川で獲った鮭を、キツネが一匹食べてしまいます。アイヌは、ありったけの罵詈雑言をキツネに浴びせ、この土地からキツネを追い出すようにすべての神に祈ります。それを聞いたキツネは、アイヌに談判(チャランケ)します。鮭はアイヌが作ったものではない。全ての動物が食べられるだけの鮭をカムイが与えてくれているのだ。それを聞いたアイヌの長老は、そのとおりだと感得し、キツネを責めたアイヌを叱りつけ、キツネに謝ります。アイヌの自然との向き合い方、あるいはカムイの本質を伝える話だと思います。アイヌの民話には、このようにアイヌと自然との関係を伝える内容のものが多いと聞きます。文化や思想の伝承ということなのでしょう。

この春、札幌地裁で興味深い判決が出されました。アイヌが、鮭漁は先住民の権利であるという訴えを起し、このたび、それを退ける判決が出たのです。北海道庁も、アイヌの文化享有権を認め、儀式用に少量の鮭を獲ることは認めています。ただ、漁業権のない人が鮭を獲ることは法的に禁じられています。アイヌにだけ特権を認めることはできないというわけです。理解できるところはります。鮭漁を巡ってアイヌと国は、度々争ってきました。ただ、今回の訴えの背景には、少数民族の権利を守るという世界的潮流があるとされています。思い起こされるのは日本の捕鯨に関するスタンスです。日本は、2019年、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、排他的経済水域内における商業捕鯨を再開しています。捕鯨は日本の伝統文化であると主張する政府とアイヌの主張に違いがあるようには思えません。(写真出典:asahi.com)

2025年5月5日月曜日

端午の節句

昔から、端午の節句は休日なのに、桃の節句が休日ではないことは男女差別だという話があります。江戸期、五節句は休日とされていたようですが、明治期になり、節句の休日は廃止され、新たに国民の休日が設定されます。5月5日「こどもの日」は、戦後になって制定されています。しかし、端午の節句だから休日というわけではありません。性別を問わず、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日として制定されました。微妙なのは、3月3日ではなく5月5日とされた点です。当初は、桃の節句も端午の節句も休日にする案が出されますが、休日数が多くなることから、合体案に落ち着きます。5月5日に決まったのは、良い季節を迎えるからということだったようです。

また、その趣旨からして、今後、5月5日には、お雛様も武者人形も飾らず、聖徳太子や菅原道真の人形を飾ろうという動きもあったようです。しかし、代議士の理屈っぽい思いつきなど、古くから根付いた伝統にはかなわなかったわけです。節句とは、季節の変わり目の日を指します。古代中国で陰陽五行説に基づいて行われていた節句の厄払いが、奈良時代、日本に伝来したとされます。平安時代には、宮中で節会として営まれ、饗宴も行われていたようです。江戸期に入ると、幕府は、節会を五節句としてまとめ、祝日とします。五節句とは、人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)を指します。元旦が入っていないことに違和感を覚えますが、別格扱いということだったようです。

端午の節句は、菖蒲の節句とも呼ばれ、十二支の午(うま)の月である5月の最初の午の日5日に行われます。端午とは午の初めという意味です。日本では新暦の5月5日に行われますが、中国・韓国・ヴェトナム等では旧暦の5月5日に行われます。男子の健やかな成長を祈願するとして、武者人形などの五月人形を飾り、鯉のぼりを流し、菖蒲湯に入り、関東では柏餅、関西ではちまきを食べます。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから子孫繁栄の縁起物とされています。ちまきは、童謡「背くらべ」でも”柱のきずは おととしの 5月5日の背くらべ ちまき食べ食べ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ”と歌われています。端午の節句とちまき(粽)との関係は、紀元前4~3世紀、春秋戦国時代の楚の国の王族にして詩人の屈原までさかのぼります。

楚は、西の秦と同盟するか、東の斉と結ぶかで国論が二分されていました。屈原は、親斉派でしたが、その優秀さが妬まれ、讒言されて王から遠ざけられます。屈原は、秦が信用ならぬことを王に諫言しますが、聞き入れられず、ついに楚は秦に滅ぼされます。絶望した屈原は入水自殺します。5月5日は屈原の命日であり、人々は屈原の無念を鎮めるために竹筒につめた米を川に投じます。しかし、後代に至り、ある者の夢枕に屈原が立ち、供物は龍に奪われるので、龍の嫌いな楝樹(せんだん)の葉に飯を包み、五色の糸で縛って川に投げ込むように言います。これが粽の起源とされます。屈原のように忠誠心の高い男子に育つことを願って、5月5日に粽を食べるようになったと言われています。もっとも、西日本の端午の節句で食べられるちまきの中身は甘い団子です。

粽は、東アジアや東南アジアで広くた食べられています。新橋の台湾料理店”ビーフン東”のバーツァン(肉粽)は有名です。もち米、豚肉、うずら玉子、シイタケ、落花生等を醤油で味付け、竹の皮に包んで蒸します。福建風と言われるようですが、あっさりとしたやさしい味が絶妙な名品です。過日、那覇の牧志の奥にある台湾料理店”金壺”で名物のちまきを食べました。美味しかったのですが、中から大量のジーマミー(落花生)がボロボロ出てきたのは驚きました。東南アジアの粽には多くの落花生が使われるようです。金壺の粽も東南アジア一帯に展開した客家たちの影響を受けているということなのでしょう。さすがに昨今では、粽を食べる際に、屈原に思いを馳せる人は少ないとは思いますが、せめて端午の節句くらいには思い出してもらいたいものだとも思います。(写真出典:kids.rurubu.jp)

2025年5月3日土曜日

「ゲッベルス」

”ゲッベルス  ヒトラーをプロデュースした男”                       監督:ヨアヒム・A・ラング   原題: Führer und Verführer   2024年ドイツ・スロバキア

☆☆☆

ドイツ人が、いつまでもナチスと真摯に向き合う姿には感心させられます。その背景には、右派が台頭するドイツの政治情勢もあるのでしょう。本作は、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスを描いています。史実を忠実に踏まえ、実際の映像や音声も交えてドラマが構成されています。昔から、フィクションをドキュメンタリー風に仕上げるモキュメンタリーという手法があります。本作は、真逆のパターンとも言えますが、最近、見かけることが多いように思います。結構、難しいアプローチであり、TVの再現ドラマのようになってしまうる恐れもあります。本作は、辛うじて映画として成立しているように思います。ただ、これは、そうした技術面よりも、ナチスの本質に迫ろうとするその姿勢を評価すべき映画なのでしょう。

原題の"Führer und Verführer"は、なかなかに面白いタイトルだと思います。フューラーは、幅広く指導者を意味するドイツ語ですが、ほぼ固有名詞化された”総統”としてヒトラーを指します。フェルフューラーは、誘惑者、あるいはそそのかす人という意味だそうです。単純に考えれば、原題は総統ヒトラーと宣伝大臣ゲッベルスを指す”総統と扇動者”となるのでしょう。ドイツ語は不案内ですが、いずれにもフューラーという言葉が入っている点が、表面的な意味以上に興味深いと思います。つまり、ゲッベルスを、単なる宣伝大臣やプロパガンダを行った者以上に位置づけ、ある意味、ヒトラーと同様にナチスの本質を体現していると言っているようにも思えます。それは、単にナチスの本質がプロパガンダにあるということだけではないように思います。

宗教は、天国と地獄を示すことで信者を誘導します。コミュニズムを含めた全体主義では、目指すべき社会の定義は曖昧ながら、諸悪の根源たる大衆の敵を明確にして批判することで人々を扇動します。設計図が不明瞭で共有されていないことが、個人の判断への依存を高め、全体主義を独裁に導いていくことになります。ゲッベルスは、類い希なるプロパガンダの天才ですが、とりわけ、定義することもできない天国を、漠然とイメージさせることに巧みな人だったと思います。ゲッベルスは、ドイツ人のDNAとも言えるロマン主義をくすぐり、人々を判断停止状態に落とし込んだと言えます。実に宗教的だと思います。ゲッベルスの天才を見抜いたヒトラーは、敵対しようとも、あるいは家族問題に介入してまでも、彼を離したくなかったのでしょう。

もちろん、ヒトラーの誇大妄想的カリスマ性は疑いようのないところですが、加えて人心掌握術にも非凡な才能を発揮した人だったのでしょう。本作でしきりと登場する会議での席順指定のシーンなども、その典型的な現れなのでしょう。ヒトラーは、側近たちを競わせ、疑心暗鬼な状態に置くことで操作し、自らの優位を確保していたと思われます。ゲッベルスも、その罠にはまり、ヒトラーの歓心を買うことに汲々とします。しかし、他の幹部たちとは異なり、最後の最後までヒトラーに寄り添い、家族を道連れに自決までしたのはゲッベルスだけです。それは、ヒトラーの巧妙な洗脳と言うよりも、ゲッベルスにとってのヒトラーが、自分が熱望しても得られないカリスマ性の体現者であり、生涯抱え続けたコンプレックスの裏返しだったからなのでしょう。

Führer und Verführerという組合せは、危険な化学反応を引き起こしかねず、まさに”混ぜるな 危険”だと言えます。近年、Verführerは一個人とは限らなくなっています。アメリカ大統領選挙など典型的ですが、SNSがその役割を担っているわけです。陰謀論やフェイク・ニュースを巧みに使うこと、貿易相手国、不法移民、ダイバーシティや妊娠中絶といったリベラルな政策を敵と定めて激しく攻撃すること、加えて言えば、目指すべき国の姿についても”Great Again”と言うばかりで曖昧になっていること、以上などからして、その扇動スタイルはゲッベルスを彷彿とさせるものがあります。肝心のFührer役のトランプがヒトラーほどに優秀ではないことが幸いしている面もあります。ただ、Verführer役のSNSがゲッベルスを超えるほどの潜在的パワーを持っていることが気になります。(写真出典:natalie.mu)

2025年5月1日木曜日

マクア渓谷

沖縄本島を一周するドライブをしたことがあります。と言っても、幹線道路を使ってのことであり、ほぼ一周といったところです。実は、かつてオアフ島でも同じチャレンジをしました。オアフ島の面積は、沖縄本島よりも3割ほど広くなっています。ところが一周ドライブにかかる時間は、沖縄本島の方が3倍近くかかります。所要時間は、道路事情如何でもありますが、島の大きさではなくルートの長短によるところが大きいと言えます。オアフ島一周ドライブのモデルコースは、島の中央と東側を回るだけであって、島全体をカバーしていません。除外されているのは、島の西側、コオリナの北、ノース・ショアの南に広がるマクア渓谷周辺です。除外される理由は、この一帯が、米軍の広大な演習場になっているからです。

マクア渓谷は、ハワイ民族生誕の地とされます。マクアとは”母”を意味する言葉です。地質学的にも、ここがオアフ島が誕生した地であるようです。ハワイ諸島は、海底のマグマが噴き出して作られた島々です。マグマだまりは同じ場所にあっても、噴火で生まれた島はプレートの移動とともに北西へと移動し、新たな島が次々と生まれます。マクア渓谷は、オアフの最初の噴出口だったわけです。ハワイも琉球も、かつては独立した王国でした。ハワイは、1898年、アメリカに併合され、後に50番目の州となります。琉球は、1879年、日本に併合され、米軍の占領時代を経て1972年に返還されています。太平洋戦争は、日本軍によるパール・ハーバー奇襲で始まり、米軍の沖縄侵攻で地上戦が終わります。国境の島々の宿命を感じさせます。

やや古いデータですが、ハワイにおける米軍施設の総面積は約10万ha、州全体の6%弱を占めるとされます。沖縄の米軍基地は、約1.9万ha、県全体の8%、本島に限れば15%に相当します。しかも、敷地面積で見れば、日本の米軍基地の70%が沖縄に集中しています。ハワイに駐留する軍人は42.000人、その家族も加えると10万人、さらに国防省関係者、軍属、退役軍人も合わせると総計は26万人、州の人口100万人の26%に相当します。沖縄には米軍軍人が約25,000人、家族や軍属を合わせると5万人を超えるとされます。沖縄県の人口は145万人ですから、人口比は4%弱になります。軍が駐留することによる経済的効果は否定できないとしても、ハワイ、沖縄ともに、基地の存在が過大な負荷になっていると言えます。

沖縄県民の基地返還に関する長い戦いは、私たちも知っていますが、実は、ハワイでも返還運動は行われてきました。とは言え、基地の問題は、戦略上の必要性が最優先されるので、中国やロシア等の軍事的脅威が完全に消えない限り、簡単には進みません。ただ、マクア渓谷に関しては、興味深い展開があります。射爆場でもあった渓谷の山肌はむき出しになっていたようですが、1998年、地元団体が、国家環境政策法違反として、軍を訴えます。多数の絶滅危惧種に関する環境調査を行っていないということが争点でした。裁判所は、訴えを認め、軍に環境調査が終了するまで実弾射撃訓練の中止を命じます。今やマクア渓谷は緑を回復し、演習場であることは変わらずとも、軍は環境保全にも十分に配慮し、環境団体の立ち入りも認めているようです。そして、2023年、軍は渓谷における実弾射撃を永久に止めると発表しました。

普天間基地の辺野古移転に関しては、沖縄県が環境問題をメインに相当抵抗しましたが、結果的に工事は進んでいます。国も法律も異なるので、何とも言えませんが、マクア渓谷の場合、絶滅危惧種が大きなポイントだったのかもしれません。2013年、時の安倍内閣は「嘉手納以南の基地返還計画」を発表します。人口密集地域の基地1,000haを順次返還するという計画でした。しかし、内実としては、単純に返還される土地はごくわずかに過ぎず、多くは移転等の条件付となっていました。普天間基地についても、キャンプ・シュワブ(辺野古)への移転が明記されています。名前に偽りありと言わざるを得ません。安倍晋三氏らしいやり口です。なお、海兵隊のグアム移転は始まっています。だた、これも全面移転ではなく、約半数が移転するという計画になっています。(写真出典:htourshawaii.com