2025年5月13日火曜日

「新世紀ロマンティクス」

監督:ジャ・ジャンクー(賈樟柯)  原題:風流一代  2024年中国 

☆☆☆☆ー

本作は、中国社会の変貌と時代に翻弄された民衆を描いた散文詩だと思います。ほとんど台詞はなく、主に過去の映像と環境音をつなげて構成された映画はコラージュのようでもあります。それを見事にノスタルジックでメランコリックな一つの詩にまとめあげるあたりは、さすがジャ・ジャンクーだと思いますし、中国が生んだ詩の文化すら感じさせます。三峡ダムに沈み行く長江流域が舞台の一つであること、そして中国語の原題からか、蘇東坡(蘇軾)の「赤壁賦」を思い出しました。「赤壁賦」は、中国古典文学の金字塔とも言われます。漢詩に明るいわけではありません。ただ、毎日使うお気に入りのランチョン・マットが台北の故宮博物院で買った趙孟頫書の「赤壁賦」であり、それで思いついただけのことかもしれませんが。

中国第6世代の映画監督の一人であるジャ・ジャンクーは、これまで、変わりゆく中国と時代に翻弄される若者を描いてきました。それも、舞台としてきたのは、成長著しい沿岸部ではなく、取り残された内陸の地方都市でした。特にジャ・ジャンクー自身の故郷でもある山西省は幾度も描かれています。今回舞台となった山西省大同も何度か登場しています。また代表作「長江哀歌」の舞台となった三峡の奉節も登場します。未発表部分らしいのですが、本作では「長江哀歌」で撮ったフィルムも使われています。舞台設定からも分かるとおり、本作は、歳を重ねたジャ・ジャンクーが、これまでの中国社会の変化と自身が撮ってきた映画を振り返り、そのエッセンスを一つの詩に仕立てたような印象を受けます。

本作が、詩として成立している要素の一つは、配偶者でもあり、長くジャ・ジャンクー映画の主演を務めてきたチャオ・タオの存在です。本作では、台詞がなく、表情だけで演技するチャオ・タオが、映画を一つにまとめげていると思います。思えば、本作は、この夫婦がたどってきた映画人生の回顧展といった風情もあります。1970年生まれのジャ・ジャンクーは、まだ老け込むような歳ではありません。しかし、ジャ・ジャンクーは、この映画で、これまでの映画作りに一区切りつけようとしているかのようでもあります。改革開放後、そして天安門事件後、激しく変化してきた中国社会は、近年、成熟期に入ったかのようなところもあります。社会の変化とともに、ジャ・ジャンクー映画のテーマも変わっていくということなのかもしれません。

よく知られた赤壁の戦いは、3世紀初頭、三国時代に起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の戦いです。三国志演義のなかで最も有名な場面の一つでもあります。蘇東坡が「赤壁賦」を詠んだのは、それから800年後のことです。故事を思いつつ無常観に浸る友人に、蘇東坡は、自然は無尽蔵である、それを楽しめば良いと返します。ジャ・ジャンクーは、大衆を置き去りにしながら進む中国の経済成長に批判的だったわけですが、ここに至って、ある思いを持つようになったのではないでしょうか。それは、犠牲も多く出た社会の激変だったが、結果、人は変わっていない、人は生き残ったということなのではないかと思います。それは、ジャ・ジャンクーの思いというだけではなく、社会的な認識なのかもしれません。中国第7世代の監督たちが得意とする詩的な表現にも、そのような社会の変化を感じます。ジャ・ジャンクーは、「赤壁賦」で言えば、友人の無常観から蘇東坡の達観へと軸足が移っているのかもしれません。(写真出典:eiga.com)